Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

壮年部、婦人部、青年部の合同研修会 仏法と哲学に説く幸福論

1986.10.26 「広布と人生を語る」第10巻

前後
22  また御書に「仏法はあながちに人の貴賤には依るべからず只経文を先きとすべし身の賤をもつて其の法を軽んずる事なかれ」と。これは聖愚問答抄の有名な御文である。
 仏法の正邪は、それを持った人が貴い、また賤しいという違いによるのではない。社会的地位や財産があるとか、ないとかで決まるものでもない。
 財産があるためにかえって不幸になる例はいくらでもある。また財産がない人の方がかえって気楽で幸せな場合もある。(笑い)ゆえに、つねに法門を根本の基準とすべきであり、社会的地位や財産のいかんによって人を軽んじていくようなことがあっては絶対にならない。
 また、開目抄には「仏法は時によるべし日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」と仰せである。
 私どもも、長い人生のうえにあって、また長い広宣流布の旅路にあって、さまざまな苦難の日があるかもしれない。いな、あるのがとうぜんなのである。しかし、大聖人が、流罪は今生の「小苦」であり、やがて「大楽」にかわるとされたごとく、難があればかならず次には「大楽」の次元に入っていくことができると、深く信心をとるべきである。
 私もつねにそう心がけてきたし、そこに正しき信心の精髄があると確信している。以上をもって、本日の研修会の指導とさせていただく。

1
22