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第227回8月度本部幹部会 強盛な信心で満足の人生を

1978.8.19 「広布第二章の指針」第14巻

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1  今回、全国各地の友の激励に奔走した感想として、炎熱下に一切の草木、樹木が繁茂するごとく、広宣流布の人材も大きく成長していることを実感した。まことに慶賀にたえない。改めて各幹部の努力に敬意を表したい。
 また、このたび日中両国の熱意と努力によって結ばれた日中平和友好条約が、この問題について提唱してからちょうど十年目に調印されたことは喜びにたえない。われわれはあらゆる国々との恒久平和を樹立していくべきであり、それが仏法者の不動の信念でなければならないと思う。
 指導者は何事を成すにも、十年先の明確な展望と視野に立つべきであり、いわんや最高の仏法を持ち、あらゆる人々の幸せを願い、責任をもって行動する立場において、われわれは、けっして目先の現象に左右されたり、一喜一憂するような狭い生き方に陥ってはならない。
 日蓮大聖人も御書のなかで「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず」と仰せになっておられる。
 大事なことは、十年先の確かなる信心の実証を確信して、後輩の指導、激励にあたっていくことである。このように信心、広宣流布に生きるわれわれは、どこまでも着眼点を明確にしながら前進していくことである。
 戸田前会長もよく、広宣流布という未聞の大偉業に対する歴史的な評価は二百年ぐらいかかるかもしれない、といわれていた。ともかくわれわれは、個人の次元にあっても一つひとつの明確なる目標を見極めながら、腹をすえ腰をすえて着実に前進していきたいものである。
 これからの時代を開く幹部としてのあり方として、こと信心という一点においては、どこまでも厳格であり、純粋であり、強盛であるべきだ。
 しかし、信心が純粋だからといって利用されるのは愚かである。善悪を鋭く見ぬいていく賢明な指導者であっていただきたい。そのためにも、冷静な判断、沈着な行動が大事である。
 そしてあとは余裕をもって、みんなが明るく楽しく、意気揚々と信心の確信をもって活躍していけるよう、最大の配慮を尽くしゆくことである。
 激動の社会であるゆえ、善意が善意として通じないようなことも多々あるだろう。しかし、われわれは、何があっても「天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか」と大聖人の仰せのように、どこまでも信心根本に常識豊かに生きぬく人生でありたい。
2  炎暑がまだとうぶん続くようであるが、いくら毎日が暑いからといっても、一日一日は確実に過ぎ去っていくのである。なんら価値創造することなく過ごすのも一日は一日であり、題目を唱え、家庭指導に汗を流すのも一日は一日である。しかし、同じ変わりない一日一日であっても、仏道修行に尽くしたのと、そうでない空転の日々を送ったのとでは、その差は、人生の総仕上げ時期において歴然とつくものである。
 そしてまた、人間は皆、時とともに問違いなく老いていくのである。しかも”光陰矢の如し”である。同じ老いていくのなら、永遠の福運を積んでいくための妙法に生き、人類社会への最大の貢献運動といってもよい広宣流布のために生き、老いていくことこそ、最高の人生であると申し上げておきたい。
 この意味からも、一人ひとりが信心だけはいちだんと強盛に、光り輝く所願満足の人生をかざっていただきたいのである。
3  後輩を指導し、人材に育て上げようと懸命になって努力し、また御本尊の偉大なる仏力、法力を人々に教え、人々の生命に妙法を開いていくことに挺身しゆく活動こそ、尊い御仏意にかなった行動であり、それじたい、みずからの妙法を開いていく行為である。
 折伏弘教は慈悲の行為にほかならず、この人生における最高善である。それによってもたらされる汝自身の絶大なる功徳をともどもに確信して、明るくさっそうと前進していこう。
 そして、巨大な岩石も打ち寄せる波浪によって、いつしか崩れ落ちていくように、組織のなかにおける、どのようなむずかしい問題も、われわれの不屈の忍耐と努力の作業によって解決できるのである。
 それが人間の心の世界でもあることを深く銘記して、張り切って潔い信心の行動を貫き、すべての現象を包容しながら二十一世紀への大海に進みゆこう。

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