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日蓮大聖人・池田大作

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第十二章 新世紀をひらく「王道」――『…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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11  宋江の言葉にみる中国独特の秩序感覚
 池田 『三国志』と『水滸伝』を貫いているものは、「王道感覚」であるというのが、私の率直な印象です。
 すなわち「覇道」でもなく、「奇道」でもない。人間の社会には、それが成り立っていくための、いわば黄金律のような秩序感覚がある。それは中国においては、主に儒教を中心として持ち伝えられてきたわけですが、この二つの書物の底流にも、その秩序感覚が一貫して流れているように思えます。
 少し身びいきになるかもしれませんが、吉川『新・水滸伝』では、諸豪がずらりと勢揃いした場で宋江が、朝廷の天子の招きあらば、一命に代えて奉公するという意味の詩を吟ずるくだりがあります。
 それを聞いて李逵などは、「くそおもしろくもない」と怒りだすのですが、それを宋江がなだめる場面が印象的です。
 「ともあれ宋朝の御代はこんにちまで連綿と数世紀この国の文明を開拓してきた。その力はじつに大きい、然るにもしその帝統がここで絶えるようなことにでもなったら、それこそ全土は支離滅裂な大乱となり、四民のくるしみは、とうてい、今のようなものではなかろう」(『新・水滸伝』講談社文庫)
 戦乱と国土の分裂、そこに必然的に起こるであろう民衆の苦しみをいとい、平和にして秩序ある、文明的な生活を求める。何ごとをなすにも、そう意識して行動しなければならない。世の悪と対決するといっても、無秩序でアナーキーな「乱臣賊子」とはなるまい――この宋江の言葉など、中国独特の秩序感覚というか、コスモス感覚を、巧まずして象徴しているように思えるのです。
 一般に、東洋思想がおしなべてアンチ・コスモスというか、カオス志向が強いのに対し、儒教を中心とする中国思想は、際立ってコスモス志向が強いことを特徴としています。私は、先にも触れましたように、そのプラス面、マイナス面を勘案しながら、端的にいえば、その美質を美質として継承していかなければならないと思っております。そこに中国文明が蓄えてきた人類的遺産があるといえるからです。
 金庸 なるほど。深く首肯できます。
 ともあれ、『三国志』といい、『水滸伝』といい、どちらも、たいへん大きな価値があります。読者に良い影響を与える好著です。特に若い皆さんには、ぜひとも読んでもらいたい作品ですね。
 池田 今の金庸先生の、青年への期待のお言葉をもって、私たちの文学対談の締めくくりとしましょう。
 金庸先生、一年間、本当にありがとうございました。先生との対談は、私にとっても大きな歴史として刻まれました。
 金庸 こちらこそ、ありがとうございました。まだまだ語り合いたいことが多くありますし、また池田先生と語り合えることを楽しみにしております。

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