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日蓮大聖人・池田大作

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第十二章 新世紀をひらく「王道」――『…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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10  「成敗をもって英雄を論ずることなかれ」
 金庸 『水滸伝』は、宋江たちが投降したことを描いていますが、同時に投降のあとに英雄たちを待っていた運命が痛ましい惨死であったことも描かれています。ですから、実際には激しい「反投降主義」なのです。
 毛沢東は『紅楼夢』を賛嘆しました。主人公の賈宝玉は、周囲の事情でやむなく、薛宝釵と結婚して子供をもうけ、恋人の林黛玉は恨みをのんで死んでしまいます。
 しかし、これは「父母の命令」には一切従うという、古い礼教による婚姻を宣揚したものではありません。自由恋愛や個性の解放を賛美し、古い礼教の精神に反対しているのです。
 結果としては、父母の命令による婚姻が成立するわけですが、この小説全体を貫く精神は、反封建・反礼教にこそあることを知るべきです。
 池田 封建的な「家」のしがらみが生む悲劇ですね。その意味では、巴金氏の『家』などと同じテーマを扱っているといえます。
 金庸 『三国志』でも、同じようなことがいえます。曹操の息子の曹丕が帝位につき、司馬氏が呉と蜀を滅ぼす。一方で劉備、諸葛亮、関羽は戦乱のさなかに挫折し、無念のうちに死んでいきます。しかし、こうした史実を踏まえた展開を描いているからといって、『三国志』が狡猾な曹操や司馬懿を賛美し、人間性豊かな劉備や諸葛亮を否定していると断じることなどできないのは明らかです。
 中国人はよく「成敗をもって英雄を論ずることなかれ」ということわざを口にします。これは『三国志』『水滸伝』の二つの書にこそ、ぴったりとあてはまる言葉ではないでしょうか。
 池田 私もそう思います。「星落秋風五丈原」の一節に、こうあります。「成否を誰れかあげつらふ一死尽くしし身の誠」と。人間の偉大さは、ことの成否でのみ判断することはできないでしょう。また、時にはその「成否」を一○○○年、二○○○年といった長いスパンで見ていかなければならないときもあります。
 金庸 『説岳全伝』では、岳飛が忠勇であるがゆえに、かえって殺害され、秦桧が奸悪であるがゆえに、かえって財産と地位にめぐまれ、長寿をまっとうします。こうした叙述もまた、歴史の事実にそったものです。
 しかし、この書の主眼は、あくまでも忠勇を賞賛し、奸悪をおとしめることにあるのです。それは読んでみれば、すぐにわかることです。
 池田 南宋の時代の忠臣・岳飛が、秦桧の讒言によって罪におとされ、ついには殺害される物語ですね。たしかに岳飛は陥れられ、非業の最期を遂げた。秦桧は生きた。しかし、その後の歴史は、秦桧を厳しく裁きます。今なお中国で秦桧といえば、「売国奴」「裏切り者」の代名詞のように扱われていると聞きました。
 金庸 清の時代の金聖嘆は、『水滸伝』の後半にあたる四九回分を、すべて削り取ってしまいました。ちなみに金聖嘆は本名を金人瑞といいます。何ごとにおいても従来のしきたりを守らないことを理想とした彼は、聖人の代表格である孔子が、こうした自分の姿を見たなら、頭を横に振りながら嘆息したにちがいないと自賛し、「聖嘆」というペンネームをつけたのです。
 池田 反逆児の面目が、ほうふつとしていますね。
 金庸 ええ。彼が削ったところは、内容で申しますと宋江が朝廷に投降し、『水滸伝』の英雄たちが次々と惨死していく結末部分です。最初から七一回までは残したのですが、最後は英雄たちが皆、縛られて、裁きの場で斬罪に処せられるのを待っているというシーンを、盧俊義が夢に見るというところで終わっています。悪い運命が英雄たちを待ちかまえていることを示唆して、小説を終わらせているのです。
 この削除本は、読者にたいへん歓迎され、大いに流行しました。そのため、かえって本来の一二○回本を読む人は、ほとんどいませんでした。ここから『水滸伝』は、朝廷への投降を喧伝したものであると考えた人は、全中国の幾千幾万の読者のうち、毛沢東およびその追随者を除けば、ごく少数であったことがわかります。
 池田 金聖嘆の、いわゆる七○回本が、あまりにも広く流布したため、本来の一二○回本や一○○回本は忘れられてしまった。一二○回本や一○○回本が再び人の目に触れるようになったのは、今世紀に入って、それも日本から逆輸入されてからだともいわれています。
 金庸 梁山泊に英雄たちが打ちそろい、謀反を起こしたことに反対した人はいました。兪万春の小説『盪寇志』は、朝廷に忠実な勇将たちが梁山泊を攻撃し、"水滸"の英雄たちを惨殺したり、生け捕りにするという話です。しかし興味深いことには、朝廷の立場から書かれた作品であっても、梁山泊側が朝廷の招きを受け入れて投降したという結末を採用していないことです。反抗は徹底して続けられ、官軍による鎮圧で終わっています。
 中国には昔から「若くして水滸を読むなかれ。老いては三国を読むなかれ」という言葉があります。『水滸伝』は、勇猛果敢な激しい気性の英雄たちが、朝廷に反抗し、権威に反抗し、いったん抑圧にあえば、たちまち刀を抜いて立ち上がり、人を殺し、謀反を起こすことが書かれています。そのため、こうした内容が、青年たちに悪い影響を及ぼすと考えられたのです。
 池田 文化大革命当時の「紅衛兵」の暴走を思うと、うなずける面もあります。もし『水滸伝』の面々が文革当時に生まれていたなら、さしずめ黒旋風・李逵など、先頭に立って暴れていたのではないでしょうか。
 金庸先生の炯眼は文化大革命についても、いちはやく、その本質を「権力闘争」であると喝破されました。青年の、ある意味で純粋な情熱も、大人の狡猾な権力闘争に利用されてしまったわけです。大人の老獪さというものは、決して小説の世界にとどまるものではありませんね。
 金庸 『三国志』は、権謀術数の数々が描き込まれていることを特徴とする小説です。機略に富む、ひとかどの人物が次々と登場します。なかでも主役の諸葛亮、そして劉備、曹操は際立っています。
 人は老齢になると、目先のことにとらわれず、将来を見すえたうえで、周到に考えをめぐらして、物事に対処できるようになるものです。ところが、そこで『三国志』を読んだならば、こうしたせっかくの長所が行きすぎて、あれこれと悪だくみを企てて他人を陥れるようになるだろうと考えられたのです。
 ただし、こうした戒めは、中国社会で支配的な地位を占めた人々が、被支配者の反抗を防止するために言い出した言葉にすぎず、現実を反映した表現ではありません。
 『水滸伝』は、悪との闘争に敢然と赴くように鼓舞してくれます。『三国志』は、忠勇と奸悪、正しいことと間違っていること、その両者の区別を明らかにしてくれます。
11  宋江の言葉にみる中国独特の秩序感覚
 池田 『三国志』と『水滸伝』を貫いているものは、「王道感覚」であるというのが、私の率直な印象です。
 すなわち「覇道」でもなく、「奇道」でもない。人間の社会には、それが成り立っていくための、いわば黄金律のような秩序感覚がある。それは中国においては、主に儒教を中心として持ち伝えられてきたわけですが、この二つの書物の底流にも、その秩序感覚が一貫して流れているように思えます。
 少し身びいきになるかもしれませんが、吉川『新・水滸伝』では、諸豪がずらりと勢揃いした場で宋江が、朝廷の天子の招きあらば、一命に代えて奉公するという意味の詩を吟ずるくだりがあります。
 それを聞いて李逵などは、「くそおもしろくもない」と怒りだすのですが、それを宋江がなだめる場面が印象的です。
 「ともあれ宋朝の御代はこんにちまで連綿と数世紀この国の文明を開拓してきた。その力はじつに大きい、然るにもしその帝統がここで絶えるようなことにでもなったら、それこそ全土は支離滅裂な大乱となり、四民のくるしみは、とうてい、今のようなものではなかろう」(『新・水滸伝』講談社文庫)
 戦乱と国土の分裂、そこに必然的に起こるであろう民衆の苦しみをいとい、平和にして秩序ある、文明的な生活を求める。何ごとをなすにも、そう意識して行動しなければならない。世の悪と対決するといっても、無秩序でアナーキーな「乱臣賊子」とはなるまい――この宋江の言葉など、中国独特の秩序感覚というか、コスモス感覚を、巧まずして象徴しているように思えるのです。
 一般に、東洋思想がおしなべてアンチ・コスモスというか、カオス志向が強いのに対し、儒教を中心とする中国思想は、際立ってコスモス志向が強いことを特徴としています。私は、先にも触れましたように、そのプラス面、マイナス面を勘案しながら、端的にいえば、その美質を美質として継承していかなければならないと思っております。そこに中国文明が蓄えてきた人類的遺産があるといえるからです。
 金庸 なるほど。深く首肯できます。
 ともあれ、『三国志』といい、『水滸伝』といい、どちらも、たいへん大きな価値があります。読者に良い影響を与える好著です。特に若い皆さんには、ぜひとも読んでもらいたい作品ですね。
 池田 今の金庸先生の、青年への期待のお言葉をもって、私たちの文学対談の締めくくりとしましょう。
 金庸先生、一年間、本当にありがとうございました。先生との対談は、私にとっても大きな歴史として刻まれました。
 金庸 こちらこそ、ありがとうございました。まだまだ語り合いたいことが多くありますし、また池田先生と語り合えることを楽しみにしております。

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