Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

新春幹部会、第三回千葉県総会 学会の前進は人類に″希望の灯″を点火

1993.1.6 スピーチ(1993.1〜)(池田大作全集第82巻)

前後
1  広布模範の本部・支部を表彰
 晴れの新春幹部会、千葉県総会、おめでとう!。遠いところ、また寒いなか、本当にご苦労さまです。
 本日の会合では、全国で表彰式が行われることになっている。この表彰は、広布のために献身されている皆さまのための表彰である。
 昨年一年間、弘教や会友運動、機関紙拡大等の諸活動に模範の成果を示された本部・支部の代表が、総合的な角度から選考され、表彰されることになった。
 私の、本当の気持ちを言えば、全本部、全支部を平等にたたえ、表彰して差し上げたい。しかし、人間、頑張っても、そうでなくても、全部同じ評価では、ぬるま湯のように、刺激も張り合いもなくなってしまう。
 気候にも、寒い日や暖かい日の変化があって、刺激となり、活力も出てくる。その意味で、広布の前進への一つの励みとして、この表彰をとらえていただきたい。
 栄誉に輝いた友をほめたたえ、ともに喜ぶ人は、その「心」に福徳が積まれていく。反対に、妬んだり、たいしたことないと見くだしたりする人は自身の福徳を消してしまう。それが一念の妙用である。
 なお、第二次の表彰は、本年五月ごろの予定とうかがっている。
2  千葉の皆さまは、本日の総会に向けて、全国模範の見事な前進を勝ち取られた。
 新年勤行会は東日本トップの、にぎやかさ。聖教新聞の友人への購読推進は全国トップクラス──さらに、弘教、会友運動、教学運動等、すべての活動に堂々たる先駆を切り、素晴らしい″広布の絵巻″をつくってくださった。心から感謝し、祝福申し上げたい。
 文永十二年(一二七五年)正月二十四日、日蓮大聖人は、千葉の地の門下である大田乗明への御手紙の冒頭にこう仰せである。
 「新春の御慶賀自他幸甚幸甚」──新春を迎えた喜びは、お互いにめでたい限りである。めでたい限りである──と。
 簡潔であるが、深い味わいのある御言葉である。そして、大聖人御聖誕の地である千葉の皆さまの晴れやかな勝利を、だれよりも喜んでくださるのは大聖人であられると確信する。
3  「勝利の年」を晴れやかにスタート
 本年も、全国各地で新年勤行会を晴れやかに開催することができた。寒いなか、準備・運営にあたってくださった役員、会館職員の皆さまに深く感謝申し上げたい。
 ちなみに、全国の会場に集った友の数(元日・二日)は、全国のどの神社・仏閣への初詣での人数(三が日)をもはるかに超えている。この一事を見ても、学会は名実ともに「日本一の教団」である。
 衰退の一途をる日顕宗の参拝者は過去最低で、まことに哀れな状況であったという。勝負はもはや厳然と示されている。
 また、SGI(創価学会インタナショナル)は、海外でも約百カ国で新年の集いを行い、世界の同志が、ともどもに楽しく一年のスタートを切っている。
 「勝利の年」を先駆する各地の皆さまに、大きなエール(声援)を送りたい。
4  大聖人は、先ほど拝した御文に続けて、こう仰せである。
 「そもそも俗諦・真諦の中には勝負を以て詮と為し世間・出世とも甲乙を以て先と為すか
 ──そもそも俗世間においても、真実の世界である仏法においても、勝劣が肝要であり、世間も出世間(仏法)も、甲乙(勝劣)を決することを最も大切なこととするか──と。
 世間においても、仏法においても、何が勝れ、何が劣るかを明らかにせねばならない。そして、正義は邪義に絶対に負けてはならない。
 仏法も、社会も、人生も、「勝つか負けるか」──これが根本となる。
 個人も、一家も、団体も、すべて「勝負」である。「戦闘」である。ゆえに、大聖人は御書に教えてくださっている。「世間でも勝ちなさい。仏法でも勝ちなさい」──と。
 「勝つ」なかに「幸福」もある。「希望」もある。「広宣流布」もある。
 何を弁解しても、負ければ、惨めである。自分も周囲も苦しむ。不幸である。
 ゆえに大聖人直結の誉れの同志は、絶対に負けてはならない! 断じて勝たねばならない!
 学会はこの「断じて勝つ」信心を貫いたゆえに、あらゆる障害を乗り越え、奇跡といわれる大勝利、大発展を成し遂げたのである。本年も、断固勝ち抜いていきましょう!
5  「善根をなせば必ずさかう」
 また大聖人は、弘安三年(一二八〇年)正月十一日、南条時光にこう仰せである。
 「花は開いて果となり・月は出でて必ずみち・燈は油をさせば光を増し・草木は雨ふればさかう・人は善根をなせば必ずさかう
 ──花は開いて(やがて)実となり、月は出て必ず満ち、灯は油をさせば光を増し、草木は雨が降れば栄える。(それと同じように)人は善根を積めば必ず栄える──。
 仏法は道理である。私たちは、法のため、人のため、広宣流布のために、日々、懸命に行学に励んでいる。
 その真心の信心が、しんしんと降り積もる雪のように、わが身の善根とならないはずがない。「信心」強き人は、最後は必ず勝つ。必ず栄えていく。
 三世永遠に、無量の福運に包まれ、物心ともに、幸福に満ち満ちていくのが仏法である。そうなるに決まっているのが、信心なのである。
 ゆえに信心は、まじめに、地道に貫くことである。
 仏のことを「能忍」という。広布のさまざまな労苦を、あるいは無理解な周囲の声を、「能く忍び」、耐え抜き、乗り越えてこそ、永遠の勝利者となる。
 また仏の別号に「世雄せおう」とある。民衆を救う″世の英雄″として、苦しい戦いも勇敢に戦闘し、勝つ人が仏なのである。
 反対に、要領良く立ち回るだけの人は、表面は良いように見えても、福運はつかない。善根は積めない。
 だれであろうと、どんなに高い地位にあろうと、学会を利用するだけの人間、学会員を裏切る恩知らずの人間は、善根を、すべて失ってしまう。
 僧侶も議員も幹部も同様である。
 「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」──始めは何もないようであって、ついには滅びないものはない──と仰せのように、最後は必ず滅びていく。
6  牧口初代会長「実験証明なき宗教は観念論」
 初代会長牧口先生は、戦時中の昭和十七年(一九四二年)、功徳の実証に満ちあふれる学会員の体験談を喜ばれ、心からたたえられた。
 「かかる体験談の発表は、全く命がけの結果であり、ダイヤモンドの様なものである」と。
 さらに先生は「今までの宗教は観念論ばかりで実験証明はなかった」と言われ、この悪しき宗教史を変えゆく事業が、創価学会の使命であることを訴えられたのである。
 かつて戸田先生も、日々、題目をあげ、信心強く生き抜いていることは、毎日、ダイヤモンドの注射を打っているようなものだと話されたことがあった。先の牧口先生の言葉に、ひとつの淵源があるのかもしれない。
 ともあれ、私たちは、この一年、燦然と輝くダイヤモンドのごとき、福徳に満ちた大勝利の人生劇を、ともに、つづってまいりたい。
7  「戦い続ける人は、永遠に若い」。これは、古今東西に普遍の真理である。
 「戦っている」生命は、たゆみなく流れる「水」のようなものである。常に新しく、清らかさがある。
 流れが止まった水は、いつしか澱み、ボウフラ等のすみかとなる。「戦わない」人間の生命も同じであろう。喜びも張りもなく、生気に欠けた濁った目となってしまう。
 私の友人にも、九十歳を超える今なお、若々しく戦っておられる方々がいる。
 その一人は、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁。現在九十四歳。九月には九十五歳になられる。
 アタイデ総裁は、四十五年前の国連総会で採択された「世界人権宣言」の起草を推進した一人。今なお、たゆむことなく、「偉大なる人権の守り手」「南米の良識」として活躍されている。
 総裁は、私との出会いを心待ちにしてくださっている。この新年も、ブラジルの著名な新聞に、私への歓迎の心をつづり、寄稿されていた。(「ジョルナル・ド・コメルシオ」紙一月五日付)
 アタイデ総裁の言葉に「生きることは即、鍛錬することである。鍛錬することは即、勝利へと通ずる」と。
 私も、その通りだと思う。私たちが、何ものにも負けないのは、鍛えに鍛えられてきたからである。わが学会は、鍛錬に次ぐ鍛錬のなかで、栄光の歴史を築いてきた。これ以上に強いものはない。
8  一方、「北米の良識」とも言うべき存在は、アメリカの友人であるポーリング博士である。「現代化学の父」とたたえられ、化学賞、平和賞と、二つのノーベル賞を受賞された。
 博士は、今年二月で、九十二歳。しかし、毎日はつらつと研究を続け、人道のために献身されている。
 世界の問題をどうするか、どう貢献するか。人類のための戦いに、休息はない。
 かつて対談した世界的な歴史家・トインビー博士も、毎朝、決めた時間に必ず机に向かうことを習慣としておられた。
 皆、ともかく働いておられる。そして見事、勝って、歴史を残しておられる。
 アタイデ総裁、ポーリング博士──これら世界を代表する二人の大先輩から見れば、私たちは、あまりにも若い。六十代など、まさに″働き盛り″ではないだろうか。
 まだまだ、これからである。人生は最後の瞬間まで戦い、生き抜かねば損である。
 千葉でも″指導部″の方々が、第一線の役職を担当し、生き生きと活躍されているとうかがった。全国各地でも同様である。
 どうか、この一年も、胸を張り、颯爽と行動していただきたい。そして、これからも健康で長生きして、素晴らしい一生を飾っていただきたい。
9  人間は、戦えば磨かれる。確固たる人生が築かれる。いわんや、一切の信心の労苦は、自身の生命を金剛に、ダイヤモンドに鍛え上げてくれる。
 ゆえに、途中で負けてはならない。絶対に退転してはならない。最も強い、最高に輝かしい「ダイヤモンド」になりきるまで、自身を鍛え抜くことだ。そこに仏法の、人間の、真髄の生き方がある。
10  チャーチルは最後の勝利を信じて戦った
 ところで、イギリスのチャーチル首相が、独裁者ヒトラーと本格的な戦いを開始したのは何歳か──それは、六十五歳の時であった。首相に就任した一九四〇年(昭和十五年)のことである。
 チャーチルといえば、イギリスのタプロー・コート総合文化センターには、彼が植樹したと伝えられる杉の木がある。私も何度か訪れたが、今や大樹と育っている。
 首相就任の折、彼は獅子吼した。「われわれの目的はなんであるかとお尋ねになるならば、私は一言でその問いに答えましょう──勝利、この二字であります!」
 世界的に有名なスピーチである。ある人が言っていた。「日本の政治家の話と、あまりにも格調が違う」、「こんな政治家が出ないものか」と。全く同感である。
 ″目的は何か──勝つことである″と。最後の勝利を信じて戦ったチャーチルが、常に人々と「V」(ビクトリー。勝利)サインを交わしたことは有名である。
11  当時、ヒトラーの狂気は、ほしいままにヨーロッパを蹂躙していた。イギリスの情勢は極めて厳しかった。
 ある日、悪化する戦況の報告を聞いた後、チャーチルは静かに口を開いた。
 「さあ、これでおもしろくなった」──と。
 苦境に立たされれば立たされるほど、彼は、ますます闘争心を奮い起こし、悠然と指揮をとったのである。
 ″今こそ、私の出番だ。力の見せどころだ″″大変であるほど、やりがいがあるではないか!″──勝利への執念を捨てなかった彼は、その風貌から、ブルドッグの愛称もあった。(″一度、食らいついたら、絶対に放さない″という意味も込められていた)
 ″イギリスの運命は、近く、終わりを告げるだろう″と世界は見ていた。しかし、彼は(下院演説と放送で)人々に呼びかけた。
 「もしイギリス帝国が千年の長きにわたって続くならば、後世の人をして『あのときこそ、彼らの最も輝かしいときであった』と言わしめよう」
 ″「彼らは最も輝かしい勝利の歴史をつくった」──千年先の未来において、こう言われるような戦いをしよう!″というのである。
 戸田先生は、よく、「二百年先を目指して戦うのだ」とおっしゃられた。大聖人は「万年、さらにその先まで」と仰せである。
 今、この時の戦いが、二百年後、そして万年の果てまで「最も輝かしい歴史」となることを確信して進みたい。
12  ロンドンへの激しい空襲は続いた。食糧や武器も不足した。激動と混乱──。
 戦況の報告を聞いた彼は、厳然と言った。「イギリスが絶対に征服されず、決然とナチに抵抗している事実を目のあたりにすることによって、踏みにじられ、絶望の底に沈むヨーロッパの数億の男女の胸に、いなヨーロッパを越えて全地球の、自由を愛する人々の胸に希望の灯が点じられ、やがてこの灯が燎原の火のごとく燃え広がっていくことは間違いあるまい」──。
 ″私たちの戦いで、人々の胸に希望の灯を!″──と。
 私たちの戦いも、さらに赫々と世界の民衆の胸に「希望の灯」を点火している。そして万年の未来の民衆の胸にも点火している──この意気で、勝利また勝利の前進を広げてまいりたい。
13  『人間革命』全十二巻──恩師の聖業を全世界に宣揚
 昨年の十一月二十四日、私は、小説『人間革命』全十二巻を脱稿した。長い間、応援してくださった皆さま、本当にありがとうございました。
 書き始めたのは昭和三十九年(一九六四年)十二月二日──したがって執筆開始から完成まで約二十八年。
 さらに、構想から数えれば、四十数年になる。
 (「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」の一節で始まる最初の原稿は、最も戦火に泣いた沖縄の地で書かれた。また、執筆の構想については、第一巻の「はじめに」や『随筆 人間革命』等に言及されている)
 本文を書き終わり、最後に私は、こう認めて筆を置いた。
  「一九九二年
    十一月二十四日
       午前十時〇分
    人間革命 十二巻
         完結せり
  わが恩師戸田城聖先生に捧ぐ
      弟子 池田大作」
 私の妻が「証人」として見てくれていた。
14  これも、「一枚」また「一枚」と積み重ねて、出来上がったものである。
 「一枚書けば、一枚進む」「何もしなければ、何も進まない」──それが私の生き方であり、信条である。次の「新・人間革命」も、全く同じ決心で、すでに準備を始めている。
 かつて『私の人生観』を執筆していた時のことである。体調を崩し、三八、九度の高熱に苦しんだ。しかし、そのなかでも、何があっても、毎日、原稿用紙を一枚書くごとに、「正」の字で数を記録していった。
 そうして、一枚一枚、一日一日、「正」の字を積み重ねながら、原稿を完成させた思い出は忘れられない。
 「正」の字を記録した紙は、わが家の宝として、長男に渡した。
 全十二巻の大河小説──普通なら、これだけでも大偉業であろう。しかし、私は、それをやりながら、同時に、ありとあらゆる膨大な仕事を進めてきた。そして広布のため、学会を守るために、それこそ針の先でつつくような細かいところまで、一切に目を配り、心を尽くし、語り、行動してきたつもりである。
15  ともあれ、『人間革命』は、今や全世界にも翻訳されつつある。
 (『人間革命』は一九七二年に英語版の第一巻が発刊。以来二十年で機関紙掲載も含め、フランス語・スペイン語・ポルトガル語・ドイツ語・中国語、その他、各国語への翻訳が進み、全世界で読まれている)
 恩師戸田先生のお名前と偉業を、全世界に宣揚することができた。私がうれしいのは、この一点である。
 大王アレキサンダーは、こう言った。
 「ああ、私は、アキレウス(トロイ戦争の英雄)がうらやましい。彼にはホメロスという『後世への伝達者』がいた。彼は幸せだ」と。
 アキレウスの雄姿は、古代ギリシャの大詩人・ホメロスが叙事詩「イリアス」で謳い、歴史に残した。しかし、アレキサンダーには、自分のことを書いて残してくれる人間がいない。だから、アキレウスがうらやましいというのである。
 その意味で、戸田先生も、「私は大作がいて幸せだよ」と、心から喜んでくださっていると確信する。
 師の言ったことを一つ一つ、誤りなくすべて成し遂げ、発展させていく。そして「師匠の真実」を余すことなく永遠に残していく。証明していく。それでこそ「真の弟子」である。
 日興上人も、大聖人の御本意を正しく「御義口伝」に残された。同じく大聖人の御講義を聴いたはずなのに、日向の「聞書」のまとめ方は、天地雲泥に劣っている。
 師匠を完ぺきに守り切るのが弟子である。心配や苦労をかけたり、負け戦を見せてはならない。この峻厳にして崇高なる「師弟の道」を私はひとり歩み切ってきた。
 あとは皆さまが、自分自身の立派な「人間革命」の歴史をわが人生、わが生命につづり残していただきたい。これこそ、永遠に消えることのない、三世の幸福のドラマなのである。
16  大聖人は門下に「末法の折伏行に引退なし」と
 ここで、重ねて御書を拝したい。大聖人の門下の一人に、最蓮房がいる。
 最蓮房は大聖人の佐渡御流罪中に弟子となった。みずからも流罪の身であったが、学問に秀で、「諸法実相抄」「生死一大事血脈抄」等の重書を与えられている。
 その最蓮房が、「引退して、山にこもりたい」との心境をもらした時、大聖人は反対された。
 「御山籠の御志しの事、凡そ末法折伏の行に背く」──「山にこもりたい」とのお気持ちの件ですが、これは末法の折伏行に背くものです──と。
 末法の僧は、民衆の中へ、社会の中へ入っていって、迫害を受けながら、正法を弘通すべきである。折伏もしないで、「山にこもる」のは、「違背の僧」であると。
 現在でいえば、「寺にこもる」のも同様であろう。いわんや、折伏もせず、迫害も受けないばかりか、遊興にふけるとは、まさに「師敵対の大悪僧」である。
 「山ごもり」は折伏精神に反し、原則として認めがたいというのが大聖人の大前提であられた。そのうえで、最蓮房が病身であることなどから、彼の希望も配慮しておられる。しかし、それは「一往」のことであって、大聖人は、あくまでも厳しく、次のように仰せである。
 「仮使山谷に籠居候とも御病も平癒して便宜も吉候はば身命を捨て弘通せしめ給ふべし
 ──たとえ、山や谷にこもられたとしても、ご病気も治り、都合も良くなれば、身命を捨てて妙法を弘通していきなさい──。
 ″病気を早く治して、戦闘を開始しなさい。不惜身命で広宣流布へ前進しなさい″と。
 厳しいといえば、まことに厳しいが、これが仏法の「正道」である。まさに「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(日興遺誡置文)と仰せの通りである。
 最後の最後まで、「山ごもり(引退)」したり、「戦う一念」を弱めたりしてはならない。また、病気だからといって、「戦う一念」まで弱めたら、本当の病気になってしまう。いわば「信心の病気」「生命の病気」である。そうなったら自身の「成仏」はない。福徳も消してしまう。
 このころ、最蓮房が何歳ぐらいだったかは不明である。ただ、健康にも自信がなく、「そろそろ、山ごもり(引退)したい」と、とかく「後ろ向き」になる一念を、大聖人は見抜かれていたのであろう。
 そして、その弱い一念を打ち破り、どこまでも前へ! 病気を治して、また前へ!──と向かっていくよう激励してくださったと拝される。
 広布の大闘争に「引退」はない。やむをえない休養も、戦線に復帰するための休養である。恩返しもせず、自分ひとり戦いの現場から逃避することは、あまりにも、ずるい生き方である。何より、この仰せに背く、大聖人への反逆となってしまう。
 最後の最後まで「妙法とともに」「創価学会とともに」戦い続ける。「広布のために」戦い続ける。その闘争のなかにこそ、「生命」は鍛え抜かれ、崩れざる「金剛の幸福」は築かれる。
17  前へ! グチなき一念が大福運の扉を
 日蓮大聖人は、弟子の四条金吾に「何が起ころうとグチを言ってはならない。人を恨んではならない。すがすがしい『覚悟』の一念で進んでこそ、難も乗り越えられ、福運もつく」と教えられた。
 「いまだ此の事にあはざりし時より・かかる事あるべしと知りしかば・今更いかなる事ありとも人をあだむ心あるべからずと・をもひ候へば、此の心のいのりとなりて候やらん・そこばくのなんをのがれて候、いまは事なきやうになりて候
 ──(日蓮大聖人は日本中から迫害されてこられたが)いまだ、このことにあわないときから、こういうことがあるだろうと知っていたので、いまさら、いかなることがあろうとも、人を恨む心は全くないと思ってきました。ゆえに、この心が祈りとなったのでしょうか(ゆえに自然のうちに諸天を動かしたのでしょうか)。数々の難をのがれてきました。そして今は、なにごともないようになったのです──と。
 広宣流布に立った以上、難があるのは当然である。避けようのない法則である。「法華経」にそう書いてある。「御書」に繰り返し、そう仰せである。
 難を乗り越えてこそ、仏に成れるのである。
 ゆえに、何が起ころうと、いまさら、あわてる必要はない。グチなど言っても、しかたがない。だれを恨む筋合いのものでもない。
18  一般の世間でも、「勝つ」ためには、死にもの狂いである。スポーツの世界しかり。経済の世界も、他の分野も同様である。人の知らないところで、皆、筆舌に尽くせぬ苦労を重ねている。だれもが必死なのである。そのなかにあって、微塵も甘さがあれば、勝てるわけがない。全部、″戦争″である。
 いわんや、仏道修行に苦労がないはずがない。大聖人は、御自身があれほどの大難をすべて連続勝利してこられたのは、絶対にグチを言わない、人を恨まない「一念」が祈りとなったからだとおっしゃているのである。
 ″全部、自分が決めたことだ″″何のグチも文句もない″″ただ、真っすぐに戦うのみである″″勇んで、前へ進むだけである″──腹を決めた、晴れ晴れとした信心の一念によってこそ、連続勝利はある。諸天も動く。自身も大福運を開く。晴れわたる大空のごとき大境涯となる。
 大聖人は、この原理を教えてくださっている。
19  戦時中の弾圧の際も、難と戦うどころか、牧口先生を恨み、戸田先生を恨んで、ほとんどの人が退転していった。今も、すぐに人を恨み、学会を恨み、私を恨んで、自分の退転を正当化しようとする人間がいる。
 彼らは自分中心であり、自分の小さな感情が根本であって、「法」を根本としていないのである。「法」を基準にしないのは、「信心」ではない。
 ともあれ、グチや文句は功徳を消す。感謝と歓喜が福運を増すのである。
20  正法弘通の人を支え、守る大功徳
 大聖人はまた金吾に仰せである。
 「殿は日蓮が功徳をたすけたる人なり・悪人にやぶらるる事かたし
 ──あなたは、日蓮の妙法流布の功徳を助けた人である。(その福運によって)悪人に破られることはないであろう──と。
 「法華経の行者」という、正しき「人」を助けた人は、必ず守られると仰せである。
 もちろん自分自身の宿業との戦いはあるが、「広宣流布」を助けた人は、悪人に破られない大功徳が身に備わる。
 創価学会は、大聖人直結の信心で、大聖人の御本尊を拝し、大聖人の正法を世界に弘めている。その功徳は、計り知れない。その学会を支え、守る功徳も絶大である。
 本年も私は世界を駆け巡り、戦っていく。大成功を祈ってくだされば幸いである。
 風邪が流行しているが、十分に気をつけていただきたい。
 「冬きたりなば、春遠からじ」で、もうじき、命はずむ春である。
 本年一年の、皆さまの「ご活躍」と「ご健康」、そして輝かしい「栄光」を念願し、私の新春のごあいさつとさせていただく。きょうは、本当にありがとう! また、お会いしましょう!

1
1