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日蓮大聖人・池田大作

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第四十回本部幹部会・第十七回全国婦人部… 信心の「心」強ければ大安心の人生

1991.4.10 スピーチ(1991.1〜)(池田大作全集第76巻)

前後
2   彼方には
    桜の王者と
      富士の山
 との句を大田の友に贈らせていただいた。(拍手)
3  日蓮大聖人は、「さくらはをもしろき物・木の中よりさきいづ」――桜は目の前がぱっと開けるように明るく、心ひかれるすばらしいものであるが、本の中から咲き出る――と述べられている。
 こんなにも明るく、美しく、匂やかな桜花。しかし、それは暗い色の、ごつごつした木の中から出てくる。こんな木の中に、どうしてこれほどすばらしいものが備わっているのか、不思議であるが、事実は厳然としている――。
 これは、″仏といっても、どこか遠くにおられるのではない。私たち凡夫の心の中に、もともと仏の生命が備わっている″との法理を教えてくださった譬えである。
 「仏」とは、どこか遠くにあるものではない。ただ御本尊への「信心」にあるとの仰せである。私どもは、わが身の仏界を開きつつ、大勢の人々の胸中の″仏の花″をも開かせ、育てている――まさに″最高の人生″である。
4  初代会長が「立正安国」の御精神を厳護
 この会館の周辺には、昭和の初めに桜並木が植えられたとうかがった。学会の創立とほぼ同じころである。
 桜並木がまだ若かったころ、初代会長牧口先生は、大田の地での座談会に何度となく足を運ばれている。矢口の白木宅もその一つであった。
 戦時中の座談会は、特高刑事の監視のもとで行われた。(=「特高」〈特別高等警察〉は、旧警察制度で政治思想関係の取り締まりを担当し、多くの″思想犯″をつくりだした)
 座談会で「神札は謗法」との話が出るたびに、刑事から「中止!」「中止!」との声がかけられる。「権力」はつねに自由な言論を弾圧しようとする。こうした、いつ、捕らえられるかしれない状況のなかで、牧口先生は、堂々と「立正安国」の正義を語りぬかれたのである。
 牧口先生は、何ものも恐れなかった。「言うべきことを言えないような臆病の者は、大聖人の門下にはなれない」――これが牧口先生の信念であられた。この鋼鉄の信念は、そのまま戸田先生に受け継がれ、また私も、弟子として厳然と受け継いだ。
 戸田先生はよく言われていた。「難にあって信心をやめるような臆病者は、学会にはいらない。私一人残れば、そこから、また広宣流布の戦いをしてみせる。不退の同志の集いで、信心と広布の厳たる学会をつくるのだ」と。
 この毅然たる″獅子工の心″が学会精神である。(拍手)
5  大聖人の御化導は″「安国論」に始まり「安国論」に終わる″とされる。
 大聖人は、御入滅の直前にも、池上兄弟の邸で日興上人をはじめ弟子檀那に「立正安国論」の説法をなされた。
 忍難弘通の尊い御生涯を通じ、謗法を排し、国家権力と戦いぬかれた大聖人。その「立正安国」の御精神は、戦時下の一国大謗法のなかで、牧口先生を中心とする民衆の団体に厳然と脈打っていた。
 牧口先生はつねづね、″自分一個のために信仰しているだけなら魔は起こらない。しかし、人のため、法のため、菩薩の行動に出れば、必ず三障四魔は競い起こる。ゆえに、魔が起こるか起こらないかで、本当に自行化他にわたって「正法」を行じているかどうかの区別ができる″と論じておられた。
 つねに、御書に照らし、経文に照らして、正邪を判断されていた。仏法者が基準とすべきは、自身の感情や世間の風評ではない。(=たとえば、「兄弟抄」には天台の『摩訶止観』を引かれて、「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」と、あるとおりである)
 そして牧口先生は「われわれは謗法者のなかに敵前上陸をなし、敢然と大悪を敵として戦っているのだから、三障四魔が紛然として起こるのが当たり前である」と達観されていた。
 どこまでも大聖人の御精神のままに「広宣流布」へ行動し、御書に仰せのとおりの難を受ける――ここに、仏意仏勅の団体たる「創価学会」の無上の誉れがある。(拍手)
 きたる五月三日から「聖教新聞」に連載を再開する小説『人間革命』(第十一巻)には、こうした戦いを含めて、学会の正義の歴史を後世のためにつづり残すつもりである。現在のところ第十二巻で完結の予定である。(拍手)
 さらに、その後の広布史の真実を正しく残すために、おそらく三十巻にわたるであろう新『人間革命』の構想もあることをお伝えしておく。(拍手)(=第十二巻は一九九三年〈平成五年〉二月に完結。小説『新。人間革命』は同年十一月十八日から聖教新聞に連載が開始された)
6  広宣の同志は最尊の″如来使″
 初代会長の牧口先生は、正法弘通のゆえに牢獄に入られた。先生は、取り調べを受けているときさえ、毅然と正義を訴えられた。その言葉が訊問調書に記録されている。
 「本会(=創価教育学会)に入会するに非らざれば、個々の生活の幸福安定は勿論得られませんし、延いては国家社会の安定性も得られないと私は確心(=信)して居ります」(『特高月報』昭和十八年八月分)と。
 牧口先生は、当時、絶大な権力をもっていた特高に逮捕された。そして取り調べの検事に対してすら″学会は正しい。学会以外に個人と社会の幸福を実現できるところはない″と堂々と述べられているのである。捕らわれ、責められる、客観的には地獄のような境遇にありながら、先生は、「学会の正義」を王者のごとく訴えられたのである。これが、私たちの人生の師の姿である。
 恩師戸田先生もまた、獅子であられた。先生は、かつての学会の機関紙『価値創造』の巻頭言で、「御義口伝」を拝しながら、こう述べられている。
 「われわれこそは『如来の使い』『大聖人の使い』として、確信してよろしいのであります。『仏の使い』『大聖人の使い』たる以上、大聖人より、如来より、霊鷲山の浄光じょうこうの都から、この娑婆世界へ、五濁悪世に、よろこんで使いたることを願い、凡夫の身をちょうだいして出世して(=この世に生まれ出て)まいりました」(『戸田城聖全集』第一巻)
 自行と、そして化他に励む学会員は、まさに「如来の使い」「大聖人の使い」と自覚すべきである、と。
 さらに「われらこそは、如来につかわされた尊い身分であると確信すべきであります。自分をいやしんではなりませぬ。『仏の使い』であります」「凡夫のすがたこそしておれ、われら学会員の身分こそ、最尊、最高ではありませんか」(同前)と述べられている。
 「人間」として、だれが尊貴なのか。偉いのか、富んでいるのか。仏法上、だれが、位が高く、尊敬されるべきなのか。それは、何があろうとも、「ただ御本仏の仰せのままに」と、「正法広宣流布」に進む人である。あらゆる難を一身に受けながら、「御本仏の使い」としての使命に生きる人である。私ども学会員の「最尊」「最高」の誉れを確信していただきたい(拍手)。尊き「如来の使い」を見くだし、迫害する人は、だれであろうと、御本仏に弓を引く人であることは、御書に照らして間違いない。(拍手)
 いかなる権力にも屈せず、御書どおりの信念を貫く――これこそ、牧口先生、戸田先生が開かれた″創価桜の道″である。私どもは、福徳咲き匂う、この「正義の大道」を晴ればれと歩んでまいりたい。(拍手)
7  善き友の絆に幸福の軌道
 さて大聖人は、門下の婦人の日女御前に仰せである。
 「かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人・現在には幸をまねぎ後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈の如く険難の処に強力を得たるが如く・彼こへまはり此へより・日女御前をかこみ・まほり給うべきなり
 ――このような尊い御本尊を供養申し上げる女性は、今世では、幸福を招き寄せ、後生には、この御本尊が左右、前後に立ち添って、あたかも闇夜に明るい照明を得たように、また険しい山道で強力(荷を担ぎ、道案内してくれる人)を得たように、あちらへ回り、ここに寄り添って、日女御前、あなたの周りを取り囲んで必ず守ってくださるでしょう――と。
 けなげな婦人門下を、御本尊が三世にわたって守ってくださるとの、お約束である。「生」も、そして「死」も、御本尊が守ってくださる。御本仏が案内してくださる。なんと荘厳な生死の儀式であろうか。「生から死へ」「死から生へ」――絶対に安心の、また絶対に正しき三世の軌道である。
8  さらに、このように続けられている。
 「相構え相構えてとわり遊女を我が家へせたくもなき様に謗法の者をかせ給うべし、悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり
 ――よくよく心をひきじめて、遊女をわが家へ寄せたくないと思うように、謗法の者を防いでいきなさい。「悪知識(仏道修行を妨げる悪い知り合い)を捨てて善友に親しみ近づきなさい」というのはこのことである――と。
 このように、わかりやすい譬えを引かれながら、大聖人はつねに門下の心の奥に届くように、納得できるように、心をくだいてくださっている。(拍手)
 私どもは成仏という″絶対の幸福への軌道″を進んでいる。この軌道を狂わせ、軌道から脱落させようとするのが「悪知識」「悪友」である。言葉たくみに近づき、美しき仏子の世界を壊そうとする。こうした悪人は、断固として寄せつけてはならない、との仰せである。
 「善知識」「善友」となる学会の前進に、いよいよ″親しみ近づいていく″――そこに、幸福への軌道は、より盤石になり、加速度もついてくることを確信していただきたい。(拍手)
9  正しき「人間性の世界」に正法は栄う
 さて中国古代の悪王、殷の紂王については、御書にも触れられており、皆さまもよくご存じと思う。……どうも、ご存じじゃない方もいらっしゃるようだが(爆笑)。勉強してください。(爆笑)
 悪逆の王・紂王を倒し、民衆を安らかに治めたのは周の文王・武王の父子である。
 殷と周との戦いの様子は、いくつかの御抄で述べられており、その一つのなかで大聖人は、こう仰せである。
 「周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑ末末は・ひが事ありしかども根本の功によりてさかへさせ給ふ
 ――周の文王は、老いた者を大切に養って戦いに勝ち、その子孫は三十七代・八百年の間、末裔には悪政の時代もあったが、根本である文王の功によって長く栄えることができた――と。
 老いた者を養う――。このことについて、司馬遷の『史記』には、仁徳を厚くして老人を敬い、幼少の者を慈しみ、賢者には礼を尽くしてへりくだり、食事の時間も惜しんで立派な人物に会おうと努めた。このため、多くの人材が周の国に集まった、とある。
 つまり「人道」――人として歩むべき道をはっきりさせ、その「道」にもとづく徳政をしいて、国をつくったのである。
 一方、殷の紂王は「道」を無視し、自分の私欲と感情を根本とした。そうした独裁のために人心は離れ、周との戦いにも敗れた。
 その事実を、大聖人は「周は老人を大切にして戦に勝った」と端的に表現されたと拝される。
 老人を大切にすることは、功労者を忘れないことである。「恩」に感謝することである。また、知恵ある人を敬い、体験をもつ人を尊ぶことである。さらに慈愛を社会に広げることにも通じよう。
 野獣の世界でなく、「文化」と「人間性」の世界。そのうるわしい「和合」「和楽」の結束が、周の勝利の因であった。そしてその「功」によって、八百年もの間、国が栄えたのである。
10  学会も、これまで一貫して「一人の人を大切に」「一人の心を大切に」と訴え、行動してきた。仏法を基調とする平和、文化、教育の運動をとおして、「人道」にのっとった「慈愛」の波動を、大きく社会に、世界に広げてきた。これが、大聖人の御精神を拝し、私どもが開いてきた広宣流布の大道である。
 皆さま方の、今世における広宣の労苦は、どれほど輝かしき「根本の功」となって、自身の三世を照らしゆくことか。また、子孫末代をも栄えさせていくことか――。
 限りなく広がりゆくであろう未来から振り返れば、今の皆さまのお立場は、いわば″信心の本家″ともいうべき、重大な源流となっていくことを確信していただきたい。(拍手)
 ともあれ、徹して「一人」を守る″慈愛の精神″。正法を根本に、その精神が脈動しているかぎり、学会は万年にわたって栄えゆくことは間違いない。何より、御本仏日蓮大聖人が讃嘆され、守ってくださることを確信する。(拍手)
 どう生きるも、一生は一生である。同じ生きるならば、「歴史」を残す人生でありたい。動物にはみずから「歴史」はつづれない。人間だけが「歴史」を創ることができる。それは、わが命を燃やしながら、不滅の価値を生む戦いといってよい。「歴史」を残した人が、真に人間として生きた人であり、賢者、勝利者なのである。
11  さて、大聖人が周の文王を例に引かれ、先の御抄で言わんとされたのは、当時の鎌倉幕府のことである。
 つまり、昔、北条義時・泰時の時代には比較的に善政がしかれ、幕府の礎が完成した。その余徳で大聖人の時代(長時・時頼・時宗)も何とか安泰のように見えた。しかし、法華経の行者であられる大聖人を迫害したゆえに、その先代の徳をも壊してしまった。もはや北条一門は、滅びるほかはないであろう――と。
 先代の善政・福徳に守られ、しばらくの間は安定しているように見えても、法華経に敵対し続けるかぎり、その悪の報いは免れることはできないとの原理である。事実、幕府は大聖人の仰せどおり、この後(蒙古襲来等の結果)、衰亡の一途をたどっていった。
12  賢者と愚者を分けるのは″振る舞い″
 「祗園精舎」といえば、『平家物語』の冒頭の一節でも有名である。その祗園精舎で釈尊が説いた経に次のようにある。
 「比丘(=僧)たちよ、愚者の標識はその作業にある。智者の標識はその作業にある。知恵は行為において輝く」と。
 「愚者」なのか「智者」なのか、それを示す標識は「行動」である、その人の振る舞いを見ればわかるというのである。
 「作業」「行為」とは「身口意の三業」のことである。「身」と「言葉」と「心」と。この三つについて、同じ経典には、こう説かれる。
 「三つのことをなさば、まさに愚者と知るべし。三つのこととは何か。身における悪行、語における悪行、意における悪行なり。これらの三つのことを成就すれば、まさに愚者と知るべし」
 身の「悪行」、言葉による「悪口」、心にいだく「悪意」。これが愚者の振る舞いである。どんなに知識があり、知恵者のように見えたとしても、その振る舞いが悪ければ「愚者」となる。ここに仏法の「知恵」観の根幹がある。
 また、これと対応するかたちで、次のように説かれる。
 「三つのことをなさば、まさに智者と知るべし。三つのこととは何か。身における妙行、語における妙行、意における妙行なり。これら三つのことを成就すれば、まさに智者と知るべし」
 すなわち、正しき法にのっとったすばらしき振る舞い、すばらしき言葉、すばらしき心が「智者」の証拠である、と。
 どんな人間が「愚者」であるか、「智者」であるか。釈尊は、その区別を明確に示しているのである。
 私どもは、つねに人々に、正法を教え、信心を語り、広布に進んできた。世界の民衆に、勇気を与え、希望を送り、平和を広げてきた。身口意の三業のすべてを、妙法流布へと向けてきた。その「行動」にこそ、仏法の「知恵」が生き生きと輝いている。
 「最高善」の広布前進に生きる人こそ、最高の智者日蓮大聖人に連なった「賢者」「智者」となる。
 知恵ある者は永遠に栄える――。私どもは、「賢者の集い」のスクラムも固く、「正法の万年の栄え」を実現してまいりたい。(拍手)
13  信心の「心」は距離を超える
 さて、夫の阿仏房を大聖人のもとに送り出した佐渡の婦人門下、千日尼。大聖人は、その「信心」をたたえられ、こう仰せである。
 「御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり
 ――あなたのお体は佐渡の国におられても、あなたの心は、この国(大聖人がおられる甲斐の国=現在の山梨県)に来られてますよ――。
 千日尼さん、たとえ離れていても、あなたの「心」は、きちんと通じていますよ、わかっていますよ、と。
 千日尼は女性の身でもあり、高齢でもあり、さまざまな理由で、大聖人のもとに直接、訪ねていくことはできなかったと考えられる。しかし大聖人を慕う心は、いささかも変わらなかった。その「心」を、大聖人はすべてくみとっておられるのである。
 「かおを見てはなにかせん心こそ大切に候へ」――直接お顔を見たところでどうなりましょう。心こそ大切なのです――。
 直接、お会いしたかどうか、大聖人の御もとにおうかがいしたかどうか、そうした形だけで「信心」が決まるのではない。大切なのは「心」ですよ、との教えと拝する。
 たしかに、大聖人のおそばにいても五老僧のような悪僧も出た。むしろ、千日尼のような、清らかな強き「信心」の一門下のほうが、遠く離れていたとしても、どれほど「心」では大聖人に近かったであろうか。仏法は断じて形式が根本ではない。
 卑近な例で言えば、親子や夫婦でも、直接、顔を見ていれば幸福とは限らない(笑い)。離れていても、心が通い合っている場合もあれば、顔を見るなり、けんかばかりしている場合もある(笑い)。ともあれ、大事なのは「心」である。「御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」との仰せを、さらに深くかみしめてまいりたい。(拍手)
 「心」は、なかんずく信心の「一念」は、やすやすと″距離を超える″のである。
 その譬えとして大聖人は「たとえば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ」と。
 ――たとえば天の月は四万由旬(由旬は古代インドの単位。一由旬は帝王一日の行軍距離とされた。数十キロと考えられる)という遠さにあるが、大地の池には一瞬にして、その月の姿が映る。中国の雷門にある太鼓は、千万里の遠さにまで一瞬に音が聞こえる――。
 そのように、あなたの信心の心は、どんなに遠くても、鮮やかに、そのまま私(大聖人)の心に、そして十方の諸仏のお心に映っていますよ、と仰せなのである。
 大聖人と「心」で結ばれている――千日尼は、どれほどうれしかったであろうか。
14  また大聖人は、「仏に成る道も此くの如し、我等は穢土えどに候へども心は霊山に住べし」と。
 ――仏に成る道もこれと同じである(同様に「心」が大切である)。われらは「身」は汚れた国土にいるけれども、「心」は霊山浄土に住んでいるのです――。
 たしかに汚れきった社会であり、人間の世界である。しかし、信心あるところ、そこが、じつはもう、胸中では「霊山浄土」なのである。「信心」を離れて、どこか別のところに浄土があるのではない。
 そして、この「穢土」にあっても、信心の″心の王国″、胸中の″信心の宇宙″には、汚れた世の悪は一歩も侵入することはできない。させてもならない。その王国は、まっすぐに御本仏と結ばれているのである。
 ゆえに、信心の「心」強ければ、人生は「自在」にして「安穏」である。一念どおりに開けてくる。「大満足」の″わが生涯″となる。(拍手)
15  門下の真心に無数の仏の守り
 「棄老国には老者をて・日本国には今法華経の行者をすつ」――昔、棄老国と呼ばれた国では、ロベらしのために老人を捨てたというが、今、日本国では、法華経の行者を捨てている――と冒頭に述べられた大聖人のお手紙がある。
 ある人(南条一族の女性といわれる)が、単衣(裏地のつかない衣服)を御供養したことへの御返事である。
 この中で、日本国中から捨てられ、憎まれ、迫害されている大聖人に対し、直接お会いしたこともないのに、御供養を届けられた、その「心」がうれしい、と最大にあたたかく称讃しておられる。大聖人は、どこまでも門下の「心」を大切にしてくださった。
 そして、たとえ衣は一つでも、「法華経の行者」である大聖人が身に着けて法華経を読まれれば、法華経の文字の数、六万九千三百八十四の仏に供養したのと同じである、と――。ゆえに、それらの仏が皆、あなた方ご夫婦を守るであろう、と述べておられる。
 六万九千三百八十四の仏が守るという、お約束である。どんな警護も、これにはかなわない(爆笑)。御本仏の仰せである。絶対にうそはない。三世にわたって、何の心配もないのである。
 ところが、それをなかなか確信できないのが、凡夫である(爆笑)。何かあると、迷う。どうしようかと動揺する。それでは、「信心」とはいえなぃ。
 御本仏の教えのとおりに確信したとき、私どもには何の行き詰まりもない。障害もない。広々と無限の道が広がっていく。無量の福徳と知恵がわいてくる。一切を変毒為薬し、「ああ、なるほど、これ以上の満足の人生はなかった。全部、いちばん良い結果になった」と大歓喜の歩みとなる。ここに「信心」のすごさがある。(拍手)
16  大聖人は、さらに、「今生には祈りとなり財となり」――今世では所願が叶う「祈り」となり、「財」となる――と。
 衣を供養した信心の真心は、これらの諸仏の加護によって、「所願満足」と「財」をもたらしますよ、と明言されている。
 妙法は円満の法である。何ひとつ欠けるところがない。ムダもない。妙法流布に連なった行動は、一つも残らず、ことごとく、自身の永遠の「宝」「財宝」となる。因果の理法は厳然としている。
 また、「御臨終の時は月となり・日となり・道となり・橋となり・父となり・母となり・牛馬となり・輿となり・車となり・蓮華となり・山となり・二人を霊山浄土へ迎え取りまいらせ給うべし」と仰せである。
 ――御臨終のときは、「月」となり「太陽」となり、「道」となり「橋」となり、「父」となり「母」となり、「牛」や「馬」となり、「興」(肩に担ぐ乗り物)や「車」(車輪のある乗り物)となり、「蓮華」となり「山」となって、お二人を霊山浄土に迎え取られることは間違いない――。
 ″死後の旅″についても、何の不安があろうか。供養した「衣」を身に着けられた六万九千三百八十四の「仏」が、何より御本仏が、厳然と守ってくださるのである。
 その旅路は、太陽と月が明るく照らし、大道があり、宝橋がある。懐かしい父や母が優しく手を取って、案内してくれる。牛馬や車に悠々と乗っていける。今でいえば飛行機のファーストクラスに乗るようなものといえようか(爆笑)。そして、途中には、福徳の蓮華が咲き乱れ、宝山が連なるすばらしい景色の中を通って、霊山浄土に到着しますよ――と。
 たった一つの「衣」の御供養に対しても、大聖人は、このように断言され、限りない慈愛をそそがれている。
17  いわんや、私どもは、「世界広宣流布」に向かって戦っている。「仏意仏勅」の団体たる創価学会とともに生き、死んでいく妙法広宣の闘士である。
 その功徳は、御書に照らし、経文に照らし、無量無辺であることを確信していただきたい。その「功徳の大光」は、日月のように現世を、そして来世をも無限に照らしてくれるのである。これほどの「大安穏」「大満足」の生死はない。(拍手)
 「心」強ければ、悠々たる人生である。「心」広大ならば、ちつぼけな雑音にわずらわされることもない。どうか、何があっても朗らかに、何があっても悠然と、一切を眼下に見おろし、″太陽に向かって″前進していただきたい。
 小事に一喜一憂せず、あっけらかんとした強さで、また勢いをもって、「これでよし」との悔いなき一日一日を重ねていただきたい。人間として「最高の人生」を満喫しながら、新しい「歴史」を開いていただきたい。
 その人こそ真の「勝利者」であると申し上げ、スピーチを終わりたい。きょうはご多忙のなか、本当にご苦労さま。本当にありがとう! また元気で集いましょう!
 (大田文化会館)

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