字は字ごとに太子のごとし字毎に仏の御種子なり、闇の中に影あり人此をみず虚空に鳥の飛跡あり人此をみず・大海に魚の道あり人これをみず月の中に四天下の人物一もかけず人此をみず、而りといへども天眼は此をみる。
日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり、日蓮又此をすいす・あらたうとし・たうとし、周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末・三十七代・八百年の間すゑずゑは・ひが事ありしかども根本の功によりてさかへさせ給ふ、阿闍世王は大悪人たりしかども父びんばさら王の仏を数年やしなひまいらせし故に九十年の間・位を持ち給いき、当世も又かくの如く法華経の御かたきに成りて候代なれば須臾も持つべしとは・みえねども・故権の大夫殿・武蔵の前司入道殿の御まつりごと・いみじくて暫く安穏なるか、其も始終は法華経の敵と成りなば叶うまじきにや。
此の人人の御僻案には念仏者等は法華経にちいんなり日蓮は念仏の敵なり、我等は何れをも信じたりと云云、日蓮つめて云く代に大禍なくば古にすぎたる疫病・飢饉・大兵乱はいかに、召も決せずして法華経の行者を二度まで大科に行ひしは・いかに・不便・不便、而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給うは釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人・一閻浮提に有るべしや、恐恐謹言。
六月二十五日 日蓮花押
日女御前御返事
出家功徳御書
弘安二年五月 五十八歳御作
近日誰やらん承りて申し候は・内内還俗の心中・出来候由風聞候ひけるは・実事にてや候らん虚事にてや候らん・心元なく候間一筆啓せしめ候、凡父母の家を出でて僧となる事は必ず父母を助くる道にて候なり、出家功徳経に云く「高さ三十三天に百千の塔婆を立つるよりも一日出家の功徳は勝れたり」と、されば其の身は無智無行にもあれかみをそり袈裟をかくる形には天魔も恐をなすと見えたり、大集経に云く「頭を剃り袈裟を著くれば持戒及び毀戒も天人供養す可し則ち仏を供養するに為りぬ」云云、又一経の文に有人海辺をとをる一人の餓鬼あつて喜び踊れり、其の謂れを尋ぬれば我が七世の孫今日出家になれり其の功徳にひかれて出離生死せん事喜ばしきなりと答へたり、されば出家と成る事は我が身助かるのみならず親をも助け上無量の父母まで助かる功徳あり、されば人身をうくること難く人身をうけても出家と成ること尤も難し、然るに悪縁にあふて還俗の念起る事浅ましき次第なり金を捨てて石をとり薬を捨てて毒をとるが如し、我が身悪道に堕つるのみならず六親眷属をも悪道に引かん事不便の至極なり。
其の上在家の世を渡る辛労一方ならずやがて必ず後悔あるべし、只親のなされたる如く道をちがへず出家にてあるべし、道を違へずば十羅刹女の御守り堅かるべし、道をちがへたる者をば神も捨てさせ給へる理りにて候なり、大勢至経に云く「衆生五の失有り必ず悪道に堕ちん一には出家還俗の失なり」、又云く「出家の還俗は其の失五逆に過ぎたり」、五逆罪と申すは父を殺し母を殺し仏を打ち奉りなんどする大なる失を五聚めて五逆罪と云うなり、されば此の五逆罪の人は一中劫の間・無間地獄に堕ちて浮ぶ事なしと見えたり。
然るに今宿善薫発して出家せる人の還俗の心付きて落つるならば・彼の五逆罪の人よりも罪深くして大地獄に堕つべしと申す経文なり、能く能く此の文を御覧じて思案あるべし、我が身は天よりもふらず地よりも出でず父母の肉身を分たる身なり、我が身を損ずるは父母の身を損ずるなり、此の道理を弁へて親の命に随ふを孝行と云う親の命に背くを不孝と申すなり、所詮心は兎も角も起れ身をば教の如く一期出家にてあらば自ら冥加も有るべし、此の理に背きて還俗せば仏天の御罰を蒙り現世には浅ましくなりはて後生には三悪道に堕ちぬべし、能く能く思案あるべし、身は無智無行にもあれ形出家にてあらば里にも喜び某も祝著たるべし、況や能き僧にて候はんをや、委細の趣・後音を期し候。
弘安二年五月 日 日蓮花押
妙一尼御前御消息
建治元年五月 五十四歳御作
妙一尼御前
夫れ天に月なく日なくば草木いかでか生ずべき、人に父母あり一人もかけば子息等そだちがたし、其の上過去の聖霊は或は病子あり或は女子あり、とどめをく母もかいがいしからず、たれにいゐあつけてか冥途にをもむき給いけん。
大覚世尊・御涅槃の時なげいてのたまはく・我涅槃すべし但心にかかる事は阿闍世王のみ、迦葉童子菩薩・仏に申さく仏は平等の慈悲なり一切衆生のためにいのちを惜み給うべし、いかにかきわけて阿闍世王一人と・をほせあるやらんと問いまいらせしかば、其の御返事に云く「譬えば一人にして七子有り是の七子の中に一子病に遇え