Nichiren・Ikeda
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エスキベル前ベリーズ首相
中米の小さな多民族国家
随筆 世界交友録Ⅲ(池田大作全集第124巻)
前後
1 あらゆる人種が平等に暮らす
どうして日本は、これほど荒廃した社会になってしまったのだろうか。
それは、残酷な人間差別を放置しているからではないだろうか。
南米から日本に来た人が、アパートを借りようとしたら「外国人は、お断り」のところが多くて、びっくりしたそうである。
あまりにも、あからさまな人種差別だからだ。
アメリカの友人も「アメリカだったら、きっと訴えられて、高い賠償金を支払うことになるでしょうね」と驚く。
なかには、はっきりと拒絶しないで、「住民票が必要」と言うところもある。外国人には住民票がないから、実質的には「外国人お断り」なのである。
就職差別もひどい。格差もひどい。いちばんに普遍性があるべき大学でさえ、外国人教師を排斥する傾向が強まっており、さまざまな差別に、留学生も「日本が大嫌い」になって帰国する人が少なくないと聞く。
「グローバル化」や「インターネット社会」などと浮かれている一方で、日本の国内が国際化していないのだ。
「私たちの国は、小さな国です。しかし、あらゆる人種が平等に暮らしています!」
中米の国ベリーズのマヌエル・エスキベル首相は、謙虚なものごしのなかにも、強い誇りをもって語られた。(一九九六年五月、東京で)
「ユカタン半島の他の国から、戦争を逃れてきた人々もいます。難民として来た人もいます。その昔、自分の意思に反して奴隷として連れてこられた人々の子孫もいます。中国系の人、レバノン、インドから来た人々もいます。
ベリーズには、そういう人々にとっての『チャンス』があるのです。だから皆が集まるのでしょう。すべての人種・民族が、よりよき生活を求めて『ベリーズで生きる』ことを選んでいるのです」
2 差別を許す日本は「病める社会」
国民の七割が混血。先住民族の「マヤ」の人たちもいる。宗教的迫害を逃れてきた人もいる。
「みんなが仲良く暮らすために、わが国のリーダーは、人を『民族の違い』や『宗教の違い』で差別することは、ありません。永久にあってはなりません。
むしろ、すべての人が、自分たちの固有の文化や言葉に誇りをもつように、励ましています。そうすることによって、私たちが、ばらばらになることはありません。その反対に『多民族国家ベリーズ』が支えられていくのです」
日本では在日韓国・朝鮮人やアイヌの方々に長年、日本への「同化政策」をとってきた。何という違いだろう!
たとえば、在日の人たちは、今なお、「日本名を名乗らないと、差別されるのでは」と憂慮しないでいられないのである。
そうした「同化」への圧力の一方で、選挙権をはじめ平等の権利を認めないできているのだ。
差別は、暴力である。
差別を許す社会は「病める社会」である。
「差別は、差別されている人たちだけを覆う影ではありません。それは私たちすべてを覆う影なのです。なかんずく、影を一番感じていなくて、差別を放置している人たちを一番黒々と影は覆っているのです」(パール・バック)
民族差別! 宗教の差別!
学歴差別! 出自の差別!
「人の不幸を喜ぶ」メディアの残酷!
そんな社会で、子どもたちが健やかに育つわけがない。
少年たちは鏡である。鏡に映った顔がゆがんでいるとき、鏡を責めるだけで何が変わるだろう。
「大人が一センチ変われば、子どもは一メートル変わる」と言われる。至言であると、私は思う。
3 平和の維持に「寛容と尊敬」が不可欠
ベリーズは「新しくて、古い国」である。
国が独立したのは、一九八一年。まだ二十年しかたっていない。その一方、圏内に六百もの「マヤ文明」の遺跡がある。
四国と石川県を合わせたくらいの大きさ。人口も二十四万人と少ない。
しかし、国の大きさと幸福とは関係がない。小さくとも、ダイヤはダイヤである。大きくても、ただの石は石である。
私は、エスキベル首相に言った。
「国の幸福は、国土の面積で決まるのでも、人口で決まるのでもありません。人間同士が、どれだけ『結合』できているか。その精神の豊かさが決め手です。
日本が『経済大国だ』と胸を張っても、国民の精神と道義の力が衰えているから、未来は暗い。
その意味で、すべての人種・民族が仲良く共存しておられる貴国の未来は明るい。燦然と希望が輝いています。また、人類の共生へ、二十一世紀への模範です」
私の心からの言葉だった。
創価学会の牧口初代会長は、二十世紀の初め、帝国主義の全盛期にあって、すでに”帝国主義には「国民的利己主義」がある。利己主義は、個人に、おいても「精神の発達の低い段階」である。帝国主義も、国家の真の目的とすべきではない”と叫んだ。
”他国の安穏を乱して、自国の力を外へ外へと拡張していく国は、結局、足元から崩壊し始め、悲惨な破滅を迎えるであろう”と。
日本の敗戦に先立つこと四十年前の「予言」であった。
しかし日本は、戦後も根本的な反省をすることなく、軍事力を経済力に置き換えた「経済帝国主義」できた。
「他国の人の身になってみる」心の豊かさを育てられなかった。そう思う。
ベリーズは、紛争の絶え間なかった中米のなかでは珍しく、平和を維持してきた。
首相の信念は、こうだ。
「平和のためには、相手への寛容と尊敬が不可欠です。それに加えて、どんな国でも『隣人を犠牲にして、領土を拡張しよう』という誘惑を拒否しなければならない。私たちは絶対に『侵略者』にはなりません。他の侵略も許しません」
「侵略者にはなりません」――この信条は環境保護にも生きている。
ベリーズは、自然の宝庫としても有名であり、「生物愛護教育」が徹底されている。国土の三分の二が「ナショナル・パーク」だという。
野生のランが二百種以上もある「花の国」であり、大阪の「花の万博」(一九九〇年)に、世界でいちばん早く公式参加の名乗りを上げたのも、ベリーズだった。
ベリーズに住むマヤの人たちは、森を伐採して畑を作るとき、まず大地の神に「私があなたを傷つけ、耕すことを許してください」と祈ってきたという。
本当の幸福は、人間を謙虚にするのだろう。傲慢な心に安らぎはない。
自然への侵略と、他民族への侵略には、共通する「攻撃性」がある。大国主義・拡張主義の日本は、自然に対しても侵略的であった。
4 ”みんなが友だち”に徹した行動
首相のモットーは「たとえ人気がなくても、正しいと信じたことを実行する」である。
「一時しのぎに、皆の耳に入りやすいことだけを言って、支持を得ようとする。そういう政治は遠からず、国を崩してしまいます。経済的にも、そして道徳的にも」
人に、どう思われるか。どう言われるか。どうすれば喝采を受けられるか。そんなことばかり計算して生きるのは無責任だ!――と。
首相をよく知る人は言う。
「たいへん『まじめ』な人です。首相である時も、そうでない時も、ともかく自分のことはいい、『国のため』『国民のため』『国が一歩でも前進できるなら』と、一生懸命なんです」
利権や公私混同とは無縁。住まいも二階建ての小さな家。訪ねた人が「これが首相の家ですか」と驚くほど質素だそうである。
偉ぶったところは、少しもない。道を歩いていても、いつも気さくに、みんなに声をかける。政治家にありがちな「演技」ではなくて、「みんな友だちだ」という気持ちが行動にあふれている。
奥さまも、もと教師。イギリスから、ボランティアで、ベリーズに来て教えている時に、同じ教師だったエスキベルさんに出会ったとのこと。「木の陰で」という小説も書いておられる。
ベリーズには「世界第二の珊瑚礁」がある。海岸には、珊瑚が砕けた白い砂の浜が続く。海は遠くまで透明に澄み、青い絹に銀の刺繍をしたように、陽はきらめくという。
そんな海岸に皆で座って、ゆっくりと人間の幸福について語りあいたいものである。
大きく茂るマングローブの「木の陰で」――。
根本的思索がなければ、一切が悪循環になるからだ。
ある学者は言った。
「日本を変えるのに今、必要なのは経済学者ではありません。哲学者と詩人が必要なのです」