Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第93回本部幹部会 教学の筋金入れよ

1967.10.29 「池田大作全集」第3巻

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7  「いかに日蓮いのり申すとも不信ならばぬれたる・ほくちに・火をうちかくるが・ごとくなるべし」――いかに御本尊があっても、また大聖人が祈ってくださっても、信心がなければ、ぬれた“ほくち”に火をつけようとするのと同じで、ムダなことです。それでは真実の幸福は得られない。たとえば、どんなに立派な自動車があってもエンジンが止まっていたのでは動かない。またどんなに優秀な無線機を使って発信しても、受信機が止まっていては通じない。それと同じ道理であります。「はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし」――結局、自分自身が信心に励み、また同志と団結し励ましあって、強盛に信力を出す以外にない。「すぎし存命不思議とおもはせ給へ」――いま自分自身が生きているのは、なんのためか、いかなる使命があるのかを考えよということです。つまり自分自身の生活観、社会観、世界観を考えなくてはいけない。そうでなければ生きていても、生ける屍みたいな存在で終わってしまう。
 「なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給うべし」――剣道、柔道など、いろいろ兵法はあるけれども、その根本の兵法は結局、法華経の兵法以外にない。崩れざる幸福を確立する、人生を勝ち抜いていく兵法は、法華経の兵法、御本尊を拝むことに尽きるのです。「『諸余怨敵・皆悉摧滅』の金言むなしかるべからず」――とは、三障四魔を打ち破ることも、諸天善神の加護をうけることも、全部、自分自身の法華経の兵法によって決まるのです。たった一行ですけれでも、これを色読し、実践するか否かで、自分自身の現在も将来も決まってしまうのです。私はこの一節を身で読み、戦ってきた一人です。大阪のいちばん厳しい参院選の戦いのときにも“この一節を色読しよう”というのが私の信念でありました。
 「兵法剣形の大事も此の妙法より出でたり」――いかに武芸の達人である宮本武蔵であろうが、千葉周作であろうが、また、呉子、孫子の兵法であろうが、あらゆる兵法剣形は、この妙法から出たものです。宇宙の法則はもちろん、その他、学問、学理、音楽等、あらゆる「法」といわれるものの大事も、すべて根幹は南無妙法蓮華経から出たものであります。三船十段という柔道の達人がおりましたが、この人の話のなかにも、これと同じような意味の言葉が出てきます。「技の本質、本源になにかある。それは表現できないけれども、そこをつかむかつかまないかが、実をいうと名人と達人の本質的な違いなのだ」と。この一節を読んで、非常に感銘をうけたことをおぼえております。「あへて臆病にては叶うべからず候」――信心は臆病であってはならないとの厳しいご指導であります。
 十一月の幹部会に、また明るく意気揚々と集まりましょう。(拍手)

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