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日蓮大聖人・池田大作

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九州本部幹部大会 常に先駆の九州たれ

1967.7.9 「池田大作全集」第3巻

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1  さる五月三日、おかげさまで会長就任七周年の総会を終了し、次の新しい第二の七年の戦いの幕を切って落とすことができました。これひとえに、同志の方々の不惜身命のご尽力のたまものであると、深く感謝申し上げるしだいであります。(拍手)
 先日、私は関西本部幹部大会において、関西の同志に“常勝関西たれ”と、お願いしておきました。東京に次ぐ関西と同じく、九州が関西に次ぐ広宣流布の重要拠点であることは、仏法西漸の原理に照らして明らかなことであります。戸田前会長も、お亡くなりになる寸前まで口ぐせのように「関西の次は九州だ」と申され「これからは九州に力を入れよう」とおっしゃっておりました。そして、これから月例講義、月例指導をなさろうとする寸前に亡くなられたのであります。いま私は、王仏冥合の第二グラウンドの出発にあたって、九州の皆さんに「常に先駆の九州たれ」とのモットーで進んでいっていただきたいことを、お願いしたいのであります。(拍手)
 “常勝関西”というのも“先駆の九州”というのも、全学会員が、その言葉どおり、信心をもち、幸せを確立することができるという確信を持ち、また、その決意で進んでいただきたいと願う気持ちからであります。私は平凡な一青年であります。しかし、いったん会長という使命に立ったからには、全学会員が、本当にかわいいし、学会員のためならば、どんなに苦労しても働き、絶対に守り抜くという決心は、誰人にも負けないつもりですから、よろしくお願いいたします。(拍手)
2  ともあれ、過去の歴史を振り返ってみるとき、日本の大発展の大きい変わり目には、常に九州と九州の人とが、重要な役割りを果して果してきたことは事実であります。古くさかのぼっていえば、神道を鼓吹するわけではありませんが、伝説時代に、神武天皇は九州から東征して、国家を建てたと伝えられています。また事実上の統一国家の発足といわれている崇神天皇のときも、九州が主勢力となったことは、歴史学者によって認められているところであります。さらに明治維新においても、決定的な役割りを果たしたのは、長土肥といわれるように、大部分が九州出身の志士であります。それが明治以降の日本の動向を決定してきたのも事実であります。
 文化の面においても、古代から中世、近世にいたるまで、常に日本の文化の窓口となり、文明開化の先駆を切ってきたのも、九州の地であります。広宣流布の新時代を開く現代にあっても、九州の同志が、こうした宿命的な使命を担っている事実を自覚し、王仏冥合の新しい維新、楽土日本建設の先駆を切って、さらに勇敢に進んでいっていただきたいのであります。(大拍手)七百年前、日蓮大聖人のご在世当時「立正安国論」のご予言のとおり、蒙古の大軍が日本を攻めてきた。それを迎えたのも、この九州の国土世間であります。そして、現在、九州本部が、当時の防塁跡に建っています。私は不思議な因縁であると思わずにはいられない。
3  現在、同じ仏法の方程式によって、世界は第三次世界対戦の危機にさらされております。すなわち七百年前、他国侵難におびえたのは日本民族であり、現在、原水爆の脅威におびえているのは、人類全体であります。その本質は、仏法の定理に照らして、全く同じであるといえましょう。結局、妙法の広宣流布以外には、戦争のない世界、すなわち、世界の恒久平和は断じてありえない。私どもは、その確信に立ち、その訴えをしつつ、勇ましく前進していかなければならないと思うのであ
 ります。それが、日蓮大聖人の立正安国のご精神であり、学会精神であります。どうか九州の同志の皆さんは、東洋の安泰、世界の平和実現の先駆を切って戦い、かつ守りきっていくという一念と決意で、今後の戦いに臨んでいただきたいのであります。
 皆さんのその決意、自覚、戦いが依正不二の原理によって、地道ではありますけれども、日本を守り、世界を救う道となります。それが、ひいては七百年前の犠牲者に対する回向であり、また過去、戦乱で命を失った全人類の祖先に対する最大に回向であると確信していっていただきたいのであります。かつて「東洋広布は九州男児の手で」また「九州男児よろしく頼む」といわれていた戸田前会長の心も、同じであると思います。さらに、九州の多くの幹部が、一日も早く東南アジアに渡り、東洋広布を成し遂げてから死にたいと話しているのを聞いております。本当に頼もしくもあり、偉大な信心であると感激しているのは、私一人ではありません。(拍手)
4  現在、東西二大勢力のあいだにあって、戦乱の谷間になっているのは、ベトナム、中東、朝鮮等、いずれも東洋であります。第二次大戦後、民族主義の旗印を掲げて花々しく立ち上がったこれらの国々も、いまや深刻な苦悩に直面しております。
 インドのネールはすでに亡く、インドネシアのスカルノも失脚してしまった。中国の毛沢東はすでに高齢であり、国内は、文化大革命のアラシに動揺し続け、国際的には孤立状態に陥っております。振り返って、私どもは、権力の英雄ではない。また、そうした英雄になる必要もない。一人一人は、平凡な民衆であっても、日蓮大聖人の仏法に力があり、この大仏法を流布することによって、東洋民族を根本的に救済する近道を明確に知っているのであると私は訴えたいのであります。(拍手)
 九州は、今日まで東京から最高幹部を迎えて戦ってまいりました。だが、いま新しい時代を迎えて、九州の地から続々と立派な人材が輩出してまいりました。もう九州は絶対に心配ない。自信をもち、互いに助け合い、励まし合って、「九州は、全部、九州男子で引き受けた」といっていただきたいのであります。そして、学会本部と直結し、大御本尊と直結して、水ももらさぬ団結の進軍を開始し、日本全体の広宣流布の活動のなかにあって、九州ここにありという先駆の模範を示していっていただきたい。(拍手)
5  あるフランスの有名な哲学者は、最近の著書で「最も深い革命は、精神的なものである。精神的革命は人間を変革し、こんどはその人間が世界を変革する」と述べております。これは、私たちのいう立正安国、王仏冥合の方程式の正しさを裏づける言葉であると思う。詮ずるところ、世界平和といっても、個人における人間革命から始まるのです。個人の革命が家庭を革命し、国家を革命し、ひいては、世界の宿命を変えていくものであります。この人間革命が、創価学会の真髄であります。
 千里の道も一歩よりであり、大海の水も一滴よりであります。どうか、職場にあっても、家庭にあっても、一人一人が福運に満ちた、逞しい、そして賢明な人生の勝利者になり、幸福者になっていただきたい。それが、私の最大の願いであり、喜びであります。(拍手)
 九州は、私も、これからさらに力を入れてまいります。また、東京の最高幹部も、皆さん方を守るために激励にまいります。皆さんも、本日を第一歩として、自分たちの九州だという深い決意をもって、新しい本門の九州建設に、力を合わせて邁進していっていただきたい。いままでの九州の伝統、歴史よりも、第二グラウンドである本門の九州の建設、伝統、歴史、栄光が、さらに偉大であり、永久に思い出となるように祈っております。なお、九州と一口にいっても、非常に広範囲にわたっておりますが、それぞれの地で、冥の照覧を強く確信していっていただきたい。そして自己の一生成仏のため、さらに王仏冥合実現のために、自転と公転の法理にのっとって、信行に勇猛精進していっていただきたいことが、私のお願いであります。(拍手)
6  最房御返事いわく「されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、我等が弟子檀那とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見・本有の寂光土へ昼夜に往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し」――これは、日蓮大聖人が、流罪地の佐渡で著された御書の一節であります。
 「されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし」とは、妙法を信心した人が、仏道修行に励むところは、いずれの地であれ、どのような境遇であれ、最高に幸福な、常寂光の世界であるとの御金言なのであります。末法万年尽未来際の救世主・日蓮大聖人は、流人の身とし、寒さのなかで、食べるものも、着るものも乏しく、しかも絶えず生命の危険にさらされた、地獄のドン底のような生活のなかで、この地こそ、仏道修行の道場であり、常寂光の世界なりと叫ばれました。この大聖人のお姿こそ、何ものにも左右されず、支配されず、おかされない、悠々たる御本仏のご境地という以外にありません。また、これこそ私どもの信心の究極であらねばならないと、私は申し上げたいのであります。(拍手)皆さん方も、それぞれの立ち場、分野で、またそれぞれの場所で、仏道修行に励んでおられますが、おのおのの宿命もあり、大変なことも知っております。しかし、ここが宿命転換の道場であり、常寂光の世界であると確信し、悠々と、ほほえみながら、進んでください。
 「我等が弟子檀とならん人は一歩を行かずして天竺の霊山を見・本有の寂光土へ往復し給ふ事うれしとも申す計り無し申す計り無し」――「一歩を行かずして」の意味は、自分の立ち場、境遇から離れて、どこか別世界に行くというのではないということです。誰人たりとも、現在の自分の境遇を、そのまま最高の幸福、絶対的な幸福の世界へ変えていくことができるとの御金言です。これが、爾前・迹門の仏法と、大聖人の仏法との根本的な違いであり、他の宗教と仏法の真髄である三大秘法の仏法の哲学との相違するところであります。「うれしとも申す計り無し申す計り無し」という一節は、言々句々では、いい尽くすことのできない、一念の奥底からの実感として、うれしいということであります。
 なんと偉大な大確信であり、崇高なお姿でありましょうか。私どもは、日蓮大聖人の弟子とし、また広宣流布の革命児として、莞爾として、このご確信にふれ、日々の活動に粘り強く励み、人生を乱舞しきってまいろうではありませんか。(拍手)
7  よく雑誌や評論家が、創価学会を批判するときに、退転した人のいいぶんや体験を取り上げて、学会の悪口を書いております。こうした風潮にたいして、ある立派な言論人が「退転するような者は、どの宗団にはいっても、結局は再び退転していく根性の持ち主である。したがって、彼らのいいぶんを中心にしてその宗教を論ずるのは、全く卑劣である。あくまでも、信仰途上の苦難に打ち勝って、最後まで信心を全うし、その目的を戦い抜いた人々の話を中心に論じていくのが、最も正しい論法ではないか」と、述べておりました。私も、全くそのとおりであると思います。
 世間の例からいっても、学校にはいりながら勉強もせず、落第した人のいいぶんを中心にしては、その学校の本質を論ずることはできません。柔道、剣道でも、自ら精進する意欲のない人のいいぶんを取り上げて、柔道、剣道の価値を論ずることができるかといいたい。道理はどこの世界でも同じであります。そのような論法は、退転したひとの意気地なさ、その人間の根性を明らかにすることはできても、その人が属していた宗団の本質や、柔・剣道の本質、学校の真価について論ずる手がかりには、絶対にならない。こうした批判は、たんなる興味本位の、三流記事に過ぎないといっても過言ではありません。あまりにも皮相的な見方であり、とうてい、深遠な仏法の真髄、創価学会の本質を見抜けるわけがありません。
 そのような風潮こそ、まさしく乱世の特徴であります。浅はかな知識を振り回して、我見で、無責任な、かってなことをいっているにすぎない。私どもは、誰がなんといおうと、ただ日蓮大聖人の教えを、堅く信じ、行じ、信念強く、新世紀の建設目指して、真一文字に進んでいこうではありませんか。後世の民衆が、心から感謝し、尊敬の念で迎えることは間違いありません。
 創価学会には、虚栄や背伸びは必要ない。御書に「貴賤上下をえらばず」と仰せであります。あらゆる社会、階層の人たちがそれぞれ妙法の当体であり、その境遇、その立ち場で、揺るぎない幸福を樹立して、確固たる人生を生ききっていくならば、それこそ真実の尊い、美しい人生であり、全人類待望の理想的な民主主義の実体であると、私はいいたのであります。(拍手)
8  昭和三十五年の会長就任当時、九州は、九支部で大幹部数三十七人、理事はゼロという陣容でありました。七年たった現在、その陣容は、三百四十七支部に発展し、大幹部数二千六人、理事数七十一人を数えるまでになったのであります。さらに、次の七年間、すなわち、昭和四十九年までには、五月三日の本部総会で申し上げた、学会全体で理事三千人、大幹部十万人の構想にしたがい、九州の地においては、理事は少なくとも二百人、大幹部は少なくとも七千人の陣容を実現していったらいかがでありましょうか。(大拍手)
 また本年一月の衆院選において、九州は見事な勝利を収めました。この勝利は、王仏冥合の第二グラウンドのへき頭を飾る壮挙であり、その大勝利の原動力となった皆さん方の功績は、永久に記録されていくことでありましょう。(拍手)また来年の参院選にも、今年一年間の大躍進についで、皆さん方の力によって、立派な歴史的な勝利の伝統をつくっていただきたいと思います。(拍手)さらに、次の衆院選に、福岡一区・二区、そして宮崎、長崎、熊本、鹿児島から、代表を立てることを提案したいのですけれども、いかがでしょうか。(大拍手)
 なお、公明党が十年後に第二党を目指すとの目標も打ち出されました。この意気込み、情熱でいくならば、将来、どれほど大きい発展を遂げることができるかと、頼もしく思っております。いよいよ、これからが本格的な法戦となってまいります。“勝って兜の緒を締めて”いかなければならない時であります。
9  いつも申し上げることでありますが、私は、皆さん方に苦労させたくはない。しかし、王仏冥合の実現は、日蓮大聖人のご遺命であります。したがって、私ども大聖人の弟子は、生涯、法戦を敢行していかなければならない使命があります。楽をしていては偉大な事業もできるわけがないし、成仏もできるわけがない。いま楽をしている一般の人の十年先、二十年先はどうなるか、因果の理法に照らしてみれば、結果は明瞭にわかります。大聖人は「剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」と断言しいらっしゃいます。究極は、日本中、世界中が信心し、王仏冥合が実現することは、絶対に間違いないのであります。したがって、私どもの時代に、王仏冥合を達成し、功徳、福運を満喫して進んだほうが、どれほど有意義であるかといいたいのであります。(拍手)
 御書にいわく「人身は受けがたし爪の上の土・人身は持ちがたし草の上の露、百二十まで持ちて名を・くたして死せんよりは生きて一日なりとも名をあげん事こそ大切なれ」と。この御書のとおり、私どもは、最高の人生、崇高な人生の活動をしていることを、生涯忘れてはならないと思います。なお、次の時代の、すなわち王仏冥合の実現の総仕上げのヒノキ舞台で、活躍してもらうために、学生部、高等部などの後輩の人たちの育成に、全力をあげいっていただきたい。皆さん方のお子さん、お孫さんたちが、伸びのびと、成長する機運をつくりあげていただきたいのであります。
10  話は変わりますが、九州といえば、毎年、大型の台風に襲われて、ばく大な被害をこうむってきた。今年もすでに台風の一つがまいりました。日蓮大聖人は如説修行抄のなかで「吹く風枝をならさず雨つちくれを砕かず」と申されております。この御訓のとおりの理想社会の建設、達成、実現に働く私どもこそ、世界最高の強く、尊い、そして社会に貢献した人であると、私は確信するものであります。(拍手)また御義口伝の宝塔品に「譬如大風吹小樹枝」――譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し――との御文がございます。大聖人は「譬如大風とは題目の五字なり吹小樹枝とは折伏門なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり」と仰せられております。
 折伏の大風こそ、一切の不幸、一切の災難を打ち払う大風であるとの御金言であります。この大聖人の仰せのままに、折伏の大風を巻き起こし、全国の先駆を切って、九州の地を繁栄させ、常寂光の仏国土に変えていっていただきたいと思います。
 最後に、くれぐれも体を大事にしてください。決して事故など起こさず、また他人に迷惑をかけるようなことがあってはいけません。あくまで常識豊かに行動し、社会を、隣近所を大切にし、誰もが納得できるよう道理にかなった信心即生活であっていただきたいと思います。九州の同志の皆さんの健康と、一人の退転者も出ないことを祈って私の話を終わります。(拍手)

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