Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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夏季講習会、壮年部大幹部会 壮年部は中核であり重鎮

1966.8.3 「池田大作全集」第3巻

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11  創価学会の力によって、日蓮正宗もこれだけ栄え、創価学会の力によって、日蓮大聖人のご遺命がやっと実現されてきた。今日の発展の大原動力となって戦われたのが戸田前会長であります。戸田前会長がおられたがゆえに、また牧口初代会長がおられたがゆえに、私どもが幸せな生活をし、社会的にも、人生にあっても、どれほどか誇り高く、裕福に、堂々と進んでいるか。その恩を報ずるために、地涌の菩は、創価学会の同志は、よく団結して前進し、悪徳議員やあまりにも悪い国家権力者たちに、愚かな民衆たちに“学会はすごい、真に民衆を救い、社会を救う力ある平和の団体である”といわせることが、遠くは日蓮大聖人、また近くは牧口初代会長、戸田前会長が、最も喜んでくださる道であるがゆえに、私は戦うのであります。(拍手)
 本当に大聖人の仏法を、御本尊を受持して、一生を全うしたい人は戦いきっていきなさい。戸田前会長のおかげで、創価学会の今日があり、その恩を報ずるところに学会精神の真髄があることを自覚して、共に、学会っ子として、人生を生ききろうという人は戦っていただきたい。(大拍手)
 江戸時代、島原の乱において、原城を守った天草四郎をはじめ三万八千人の同志は、板倉侯等の幕府軍十二万四千余人の攻撃に負けず、莞爾として、守りきった。最後は松平侯の策略等によって滅ぼされたけれども、寛永十四年十月から翌年の二月までの五か月間、それは命をかけるどころの騒ぎではなく、もう死ぬのはわかっている戦いでありました。全滅することがわかっていながら、天草四郎のもとに結集した信者は三万八千人で、そのなかには子供も、女の人も、老人もいました。しかし、そのなかで同志を裏切ったのは山田右衛門作という壮年ただ一人であったことがいまでもキリスト教徒の最高の誇りになっているのであります。
 外道であっても、これだけ純粋な同志の団結をもって、立派に生涯を飾っております。いわんや、われわれは独一本門の同志であります。幸福になり、偉くなり人々から尊敬されながら、それでなおかつ裏切るような者があったならば、無間地獄に落ちるのはあたりまえではないでしょうか。島原の乱のときに、三万八千人のなかで裏切り者はただ一人。わが学会の壮年部は一生涯、ただの一人も裏切り者も出さないという団結で進んでいくべきであると思います。(大拍手)
 私はまだまだ若い会長であります。未熟であり、欠点もあります。戸田前会長や牧口初代会長の遺訓を達成するために、会長になり、立ち上がったのです。あとはなにもない。これが師弟の道であり、同志の契りです。外道であっても、またどこの団体であっても、本当に人間らしい生き方をした、契りを結んだ師弟とか同志は、そういう姿を示しております。まして、最高の仏法に生きる私どもは、絶対に戸田前会長のご遺志を実現するのだという決意で進んでまいろうではありませんか。(拍手)
 したがって、皆さん方はまず御本尊を一生涯忘れず、学会を守りきって、日々、月々、年々に成長していただきたい。たとえかたわになろうが、半身不随になろうが、どのような立ち場になろうがその一念をもった人が立派であり、霊鷲山会において大聖人にお目通りがかない、おほめの言葉をいただける人です。だからといって、戦いに無理があってはなりません。体は大事にしてください。皆さん方がうんと長生きして、事故なく、そして福運を積んで、人生の最高の総仕上げをしていただきたいということを、朝な夕な私は御本尊に祈っております。
 次は青年部、学生部、高等部、中等部、少年部が待っております。その人たちに、個人においても、学会においても、立派にバトンタッチをして、あとは彼らが、伸びのびと、それこそ口笛を吹きながら、邪悪な謗法を見おろしながら、大手を振って勝ち戦の前進ができるようにしてあげようではありませんか。(拍手)
 事の一念三千の当体であり、因果倶時ですから、御本尊にこの決意で、異体同心の信心をもって祈っていくならば、必ず目的を成就していくことができます。いままで私が申し上げたことを、どうか忘れることなく、一緒に元気でがんばりましょう。(大拍手)

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