Nichiren・Ikeda
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第一回栃木県支部長会
妙法こそ宿命転換の原理
1986.9.15 「広布と人生を語る」第10巻
前後
17 先日も『三国志』を通してお話ししたが、しばしば思い起こすのは、「髀肉の嘆」といって、玄徳が心ならずも劉表のもとで食客となっていたときに、ふとわが身をふり返って嘆いていった言葉である。
玄徳はいう。「ふとわが身をかえりみると、久しく美衣美食に馴れたせいでしょう、髀の肉が肥えふくれて参りました。――かつては、常に身を馬上におき、艱苦辛酸を日常としていた自分が――ああ、いつのまにこんな贅肉を生じさせたろうか。日月の去るは水の流るる如く、かくて自分もまた、なすこともなく空しく老いて行くのか……」と。
のちに玄徳は荊州を治めるが、荊州を奪い取ろうとする呉の計略によって呉の国王・孫権の妹との縁談が進む。それは玄徳を油断させ、婚礼の前後に機を計って彼を刺し殺そうという策略であった。
ところが、呉国の元老ともいうべき喬国老は、油断を戒めて孫権と母公に「年齢の少い者にも老人があるし、年はとっても壮年をしのぐ若さの人もある。劉皇叔(玄徳)は、当代の英雄、その気宇はまだ青春です。凡人なみに、年の数で彼を律することは当りません」といって、玄徳殺害の非を指摘するとともに、五十路に達した玄徳に娘を嫁がせることに反対する孫権の母を説得したのである。
こうした賢明なる側近に恵まれていたがゆえに、呉国は長く命脈をたもつことができたのである。
本日は、「敬老の日」の意義も含めて話をさせていただいた。以上をもって、お祝いのスピーチとさせていただく。