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日蓮大聖人・池田大作

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第一回栃木県支部長会 妙法こそ宿命転換の原理

1986.9.15 「広布と人生を語る」第10巻

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16  次に戸田先生の開目抄講義の一節を通して申し上げたい。言葉は平易であるが、私どもの信心の要ともいうべき点を教えられている。
 「われわれの人生が過去世の罪業および善根によって運命が定まっているということは、信じると信じないとにかかわらず真実なことである。宿命が定まっているならば、どうしようもないということになれば、それはあきらめの人生であり、またかく数えることはあきらめの仏法である。このあきらめの人生では、不幸の人はどうすることもできないことになる」
 これこそ人生の根本問題である。人生は今世だけではない。三世にわたる生命観に立って見ていかなくてはいけないとの指摘である。とともに、宿命をどう乗り越えていくか――そこに大聖人の仏法がある。
 そこで戸田先生は「ここにおいて日蓮大聖人は、過去世に悪業を積んで現世に不幸な人をどうして運命を転換させて救おうかと思惟なされて、ここにわれら不幸の衆生に三大秘法の南無妙法蓮華経をお授けあそばされたのである」と述べられ、「されば、文底秘沈の南無妙法蓮華経こそ、われらの宿命転換の尊き教えである」と結論されている。
 大聖人の仏法をおいて宿命転換の法はないのである。ゆえに、われらの苦悩の宿命を転換せしめんと、一生涯をかけられた大慈大悲の大聖人に深く感謝し、その教えのとおり行じてこそ、厳然たる功徳もある。――これこそ戸田先生の精神であった。私どももこの精神で永遠に進んでいかねばならない。
17  先日も『三国志』を通してお話ししたが、しばしば思い起こすのは、「髀肉ひにくの嘆」といって、玄徳が心ならずも劉表のもとで食客となっていたときに、ふとわが身をふり返って嘆いていった言葉である。
 玄徳はいう。「ふとわが身をかえりみると、久しく美衣美食に馴れたせいでしょう、ももの肉が肥えふくれて参りました。――かつては、常に身を馬上におき、艱苦辛酸を日常としていた自分が――ああ、いつのまにこんな贅肉を生じさせたろうか。日月の去るは水の流るる如く、かくて自分もまた、なすこともなく空しく老いて行くのか……」と。
 のちに玄徳は荊州を治めるが、荊州を奪い取ろうとする呉の計略によって呉の国王・孫権の妹との縁談が進む。それは玄徳を油断させ、婚礼の前後に機を計って彼を刺し殺そうという策略であった。
 ところが、呉国の元老ともいうべき喬国老は、油断を戒めて孫権と母公に「年齢の少い者にも老人があるし、年はとっても壮年をしのぐ若さの人もある。劉皇叔(玄徳)は、当代の英雄、その気宇はまだ青春です。凡人なみに、年の数で彼を律することは当りません」といって、玄徳殺害の非を指摘するとともに、五十路に達した玄徳に娘を嫁がせることに反対する孫権の母を説得したのである。
 こうした賢明なる側近に恵まれていたがゆえに、呉国は長く命脈をたもつことができたのである。
 本日は、「敬老の日」の意義も含めて話をさせていただいた。以上をもって、お祝いのスピーチとさせていただく。

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