Nichiren・Ikeda
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アメリカ青年特別研修会
諸君の成長に広布の未来
1986.8.1 「広布と人生を語る」第9巻
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12 たとえば一生のうち五年間が幸せであっても、その後が暗く不幸な人生であっては、哀れである。また、十年間、人々もうらやむような生活を送ったとしても、一生の最後が地獄のような苦しみとなれば、あまりにもはかない人生といわざるをえない。
これに対し、私どもは、たとえ一時的には不幸に見えるような場合があっても、最後はすべて所願満足の輝く境涯となって、今世を飾っていけるのである。ここに妙法が”不可思議の法”である一つの証左がある。
その意味において、現在、かりに、御本尊への祈りどおりにならなくても、そのことのみをもって信心がないとか、信心が弱いとかはけっしていうべきではない。いわんや妙法に力がないわけでは絶対にない。
この一点を確信できるか否か。そこに信心が強盛であるか否かの試金石がある。生涯たゆまぬ ”水の信心”であるか、いっときの”火の信心”であるかの分岐点があるといってよい。
この大切な信心の要諦を、これから長い人生を生きる、未来の広布の指導者である皆さま方に強く申し上げておきたい。