Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

神奈川県本部長の集い 「長者の城」を宝珠で飾れ

1986.5.11 「広布と人生を語る」第8巻

前後
9  法のため、人々のために仏道修行に励んでいくことは大変なことである。しかし、そのための苦労や悩みは、すべて菩薩の行となり、そこにこそ成仏の大道が開けていくのである。それぞれの立場で、広布のために自らを惜しまず活躍しておられる皆さま方は、自分はいっさいが広宣流布に通じる信心をしている、自分の信心は、日蓮正宗の法水写瓶が血脈の信心につらなり、仏意仏勅の道を歩んでいるのだ、ゆえに、成仏はまちがいない、諸天の加護がないわけはない、と確信をしていただきたい。
 一生成仏の途上において、なんらかの宿命により、また凡知を超えた深い理由によって、一見、幸福ではないように見える姿があるかもしれない。しかし一時的な姿や外見だけでは、その人の深い幸、不幸の内面をはかることはできない。病気になった、早死にした、あるいは生活が裕福ではない等々、外観や一時の姿のみを見て、その人の信心を判断することはできないものだ。信心は長い目でみていかなければほんとうの姿はわからないし、人がうらやむような財産や名聞名利に恵まれていても、心のなかは地獄のような苦悩に満ちている人が大勢いる。
 御書には「秘とはきびしきなり三千羅列なり」と仰せである。
 仏法の深き眼からみるならば、一念三千の「一念」、つまり信心の「一念」がどこに定まっているか、それによってのみ真実の幸、不幸のいっさいが決まっていくのである。どうか、この法理をよくよく銘記していただきたい。
 広布に生きゆく皆さま方の、信心の「一念」は、自身の無量の福徳の因となって、自らを功徳で飾っていくのである。とともに、それは、お子さま方へ、さらに孫へ、ひ孫へと、世々代々つらなっていくのである。これが大聖人の仏法の、ありがたき原理なのである。

1
9