Nichiren・Ikeda
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関西婦人部白樺会勤行会
強く優しき白衣の慈母たれ
1986.5.4 「広布と人生を語る」第8巻
前後
10 三世の生命からみるとき、今世にあって、菩薩の使命として、法のため、広布のためにどれだけ活躍したか。また、人々のため、社会のために、どれだけ尽くし、貢献したか。その活動に応じて、生々世々、常楽我浄の人間道を生きることができるのである。
生々世々と変転していく生命にあって、やはり人間として生を受けることが最高である。しかし、仏法の因果律は厳しい。中途半端な信心では、今世にあって一生成仏が叶わず、二生、三生と、修行を重ねなければならないのである。
また退転してしまった人は、地獄の境界とならざるをえない。経文にも多くの地獄の姿が説かれているが、火炎に焼きつくされるような苦しみ、酷寒にさいなまれる苦悩、あるいは、あたかも列車とレールの間でつぶされるような苦痛など、さまざまな地獄のような境界となってしまうわけである。
やはり、信心は三世論でみていかないと、今世の修行の苦楽の意味はわからないことを知ってほしい。
どうか、妙法の大法、御本尊への信心だけは、どのような境遇、立場になっても、護持していただきたい。そして、社会の各界で自分らしく、桜花爛漫の青春時代を生き、人生を送っていただきたい。