Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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関西婦人部白樺会勤行会 強く優しき白衣の慈母たれ

1986.5.4 「広布と人生を語る」第8巻

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9  後継の使命を自覚し広布の大道を
 私の行動の眼目は、若き世代のために、広布と幸福への道を開き、伝えゆくことにある。この大目的にくらべれば、低次元の批判や名聞名利などは、まことにささいなことにすぎない。これまで幾度も申し上げてきたとおりである。恩師戸田先生のお気持ちもそうであったにちがいない。
 戸田先生は「同志の歌」のなかで「我いま仏の旨をうけ」と歌われた。私も、日蓮大聖人の御遺命のために、微力ながら尽力してきたつもりである。
 そのあとで戸田先生は「拾つる命は 惜しまねど 旗持つ若人 何処にか」と詠まれている。
 私も、法のため、また後世のために、命を惜しまず、さらに前進していく所存である。しかし、後継の人の活躍がなければ、いかなる大法も後世に伝えることはできないし、また妙法の広宣、弘通もありえないことは、とうぜんの理である。その意味で私は、この「同志の歌」をつねに心に思いうかぺながら、今日まで戦ってきたつもりである。
 どうか諸君は、後継の使命を自覚し、いかなる苦難に遭おうと、妙法広宣の大道を生きぬいていただきたい。
 その過程に、多くの苦難があることは、いうまでもない。しかし、人生は一編のドラマのようなものだ。苦労こそ、人生というドラマのもっとも劇的な要素であり、ハッピーエンドへの不可欠な道程である。
 諸君は”人生の名優”としで、すばらしき自身のドラマと歴史を築いていっていただきたい。
 ともかく諸君の前途は長い。ゆえに信心だけは絶対に失ってほならない。勤行を地道に実践するということは、大変かもしれない。また厳しく感ずるときもあるかもしれない。信心をしていない他の人たちとくらべて学会活動もあり、自分たちのほうが大変のように思えるかもしれない。しかし、尊き使命の人生を生きぬいた人は、同じ七十年の人生であっても、五十倍、百倍も深い人生、自分を生ききったことになるのである。まことに大聖人の教えはありがたいのである。
10  三世の生命からみるとき、今世にあって、菩薩の使命として、法のため、広布のためにどれだけ活躍したか。また、人々のため、社会のために、どれだけ尽くし、貢献したか。その活動に応じて、生々世々、常楽我浄の人間道を生きることができるのである。
 生々世々と変転していく生命にあって、やはり人間として生を受けることが最高である。しかし、仏法の因果律は厳しい。中途半端な信心では、今世にあって一生成仏が叶わず、二生、三生と、修行を重ねなければならないのである。
 また退転してしまった人は、地獄の境界とならざるをえない。経文にも多くの地獄の姿が説かれているが、火炎に焼きつくされるような苦しみ、酷寒にさいなまれる苦悩、あるいは、あたかも列車とレールの間でつぶされるような苦痛など、さまざまな地獄のような境界となってしまうわけである。
 やはり、信心は三世論でみていかないと、今世の修行の苦楽の意味はわからないことを知ってほしい。
 どうか、妙法の大法、御本尊への信心だけは、どのような境遇、立場になっても、護持していただきたい。そして、社会の各界で自分らしく、桜花爛漫の青春時代を生き、人生を送っていただきたい。

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