Nichiren・Ikeda
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岩手県記念代表者会議
心の一法より国土世間も生ず
1985.5.20 「広布と人生を語る」第7巻
前後
6 世間の人が、われわれ大聖人の門下を中傷・非難し、信心の妨げをなすとき、その人は実証として「始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」の御文どおりになっていくのである。
信心の世界にあっても、つねに人々の心を攪乱していくような人に対しては、厳重に注意していかねばならない。それは、みずからの信心を破り、人の信心をも破っていく謗法の姿勢であるからである。
その意味で信心は、数年とか役職のみでは決まらなくなってくる場合もある。よくよくたがいに注意しあいたいものである。
近年あった元幹部たちや正信会の連中たちの策動は、まず信がなくなり、勤行をせず、まじめな人々を一歩一歩安易な堕落の方向へと引きずりこんでいったものである。
これからも、あの幹部が退転していったかというような場合があるかもしれない。しかし、けっしてそれに従ってはならないし、本門戒壇の大御本尊への清浄な信心と、広宣流布への仏意仏勅をこうむった信心の道を、踏みはずしてはならないのである。