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日蓮大聖人・池田大作

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千葉県代表者の集い 広宣流布こそ学会精神

1983.1.17 「広布と人生を語る」第4巻

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1  本日は、二年ぶりに、千葉文化会館を訪問することができてうれしい。ただいま、御本尊に、千葉県の勝利と、同志の方々のますますのご健闘とご健勝をご祈念申し上げた。
 明十八日には、御法主上人猊下が、初のブラジル御親修にご出発になられる。御親修の旅がつつがなくご平安の日々であられるよう、ともどもに心から御本尊にご祈念を申し上げていきたい。
 ところで、人間というものは、何か起こったときに、その人の偉さがわかる。また、愚かさもわかる。卑怯さもわかるものだ。戸田第二代会長が去されたときもそうであったが、また言論問題のときもそうであった。さらに、この数年来の非難の嵐にも、また同じような姿を見受けた。
 正法を行ずるものにとって難はとうぜんのことであると、御書に明確に説かれている。皆さま方は立派であられた。
2  難があるたびに、善の人、悪の人がはっきりするものだ。信心強く使命に進む人、動揺する人、逃げの道に入っていく人等、私は幾度となくこれらの姿を見てきたし、なによりもいっさいのことは、御本尊がすべて見通しておられる。とともに、自分の心は自分がいちばんよく知っているものだ。心して、肚をすえた信心であり、生活であり、人生であっていただきたい。
 難があり、事件があり、そのたびごとに、強い信心で自身の境涯を広げていくことが、真の信仰者なのである。人生は、役職も社会的地位も財産も、それなりに大事であろうが、真実の幸福は、その人の生命境涯によって決まるものである。佐渡に御配流の日蓮大聖人は「嘉悦はかりなし」との大境涯をお示しになられた。ここに、仏法に説く境涯論がある。
 仕事にも生活にも、そして折伏活動にも、さまざまな苦労はつきものである。その苦労のなかから、信心によって自分自身の境涯をどこまで開いていけるかが、大聖人の仏法である。心して、人生の幸福の深さを、広さを、信心によって自分自身が開き、勝ちとっていただきたい。
3  結論していえば、すべて人生は自分から出発して、自分自身に帰着するものである。ゆえに、すべてを、自分自身の福徳を増し、境涯を開きゆくものであるととらえ、そのための源泉が信心であることを自覚しなければならない。
 信心をどこまでも根本としていくことこそ、学会精神である。つまり、学会精神とは、総本山を外護申し上げ、大御本尊を守り、祈り、弘めていくことにある。折伏精神であり、かぎりなく広宣流布へ挑戦しゆく精神である。なにごとにも不退の精神である。この学会精神で進みゆく人をば、諸天善神が守護しないはずは絶対にない。この数年来のさまざまな事象をみてもわかるとおりである。
 事にあたって変わりやすきは人の心である。それが世間の心であり、世法の心である。正法正義を行ずる人、信心の人は、事があればあるほど、不動の心、不退の心で信心を深めいかなければならないというのが、大聖人の仰せである。信心を動揺させて、せっかくの福運を消してはならない。皆さまはその信心の真髄を、再び強く自覚しての日々の前進であっていただきたい。大聖人御聖誕の地という因縁深き地で活躍される千葉のリーダーの皆さま方は、世界の同志に先駆けて、この最高の道、広宣流布の道を、まったく悔いなく、学会精神で堂々と模範の精進をお願いしたい。

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