Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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西ドイツ信心懇談会 「生命の世紀」こそ全人類の願望

1981.5.18 「広布と人生を語る」第2巻

前後
12  人間が原点であるということは、今世にかぎられているといってよい。生命は永遠なのである。その永遠なる生命のうえに立ち、今世の人間としての役割をいかに充実させ、生きる発条とさせていくかが、「生命の世紀」なのである。われらの大運動の一つの本義は、ここにあるといってよい。この「生命の世紀」こそ人間が哲学的な流れからも思想的な流れからも、宗教的な流れからも、願望してやまないところであると、私は確信しているものである。
 ともかく、それを簡潔にいうならば、運動の第一義は、信行学にある。それが、人生即仏法、信心即生活、さらには信心即社会への活動のリズムにはいっていく運動といえるのではないだろうか。
13  御書には「相如是が第一の大事にて候へば仏は世にいでさせ給う」と仰せである。これをその人の生活上の立場から拝すれば、方便品で説く十如是のなかでも、相如是から始まっており、これこそもっとも大切なのだ、と仰せなのである。
 真実の信仰者としての振る舞いをしているかいないかは、如是相で厳然とわかってしまうものだ。また怒りの人、ねたみの人、愚痴の人すべてが如是相でわかってしまうものである。ともかく、信心している人の姿を見て、多くの人が入信を考えたり、決意したりする場合が多いことは、おわかりのとおりである。その反対の場合もあるであろう。あるいは、理論的に入信する人もいるかもしれないが、なんといっても重要なことは、その人の如是相にあるといってよい。
 リーダーの確信、リーダーの包容力、それもまた如是相で、リーダーによって人々が安心したり、不安になったりする場合もあるにちがいない。一人ひとりが福運に満ち、誠実さにあふれ、人々から信頼される如是相であっていただきたいと思う。
14  この会館の庭にある大桜を”ドイツ広布桜“と命名させていただいた。樹齢は数十年であるにちがいない。根深きがゆえに枝茂く花もおおいにさくにちがいない。
 信心の世界もまた同じである。おおいに仏種が根をはり、道理としてその根が福徳の大樹となり、福運の花となり、実となる、所願満足の人生であっていただきたい。ともかく信心の根を、いかなるときにあっても切ってはならない。
 ドイツ日蓮正宗も二十年の根をはられた。次は二十五年を目標に、仲良く、よき人生を歩んでいただきたい。今秋には宗祖日蓮大聖人第七百御遠忌を慶祝して、総本山の参詣に多数の方々がおいでになることを聞き、心から歓迎申し上げる。皆さま方のますますのご多幸をお祈り申し上げ、私の話とさせていただく。

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