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「小・中学生文化新聞」新春メッセージ 強い心で未来の大樹に

1978.1.1 「広布第二章の指針」第12巻

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1  希望に満ちた新春、おめでとう。今年はうま年――若駒が草原をさっそうと駆けゆくような少年部、中等部の皆さん方の姿が目に浮かんでくる、心さわやかな新年の門出です。
 「子どもにはすべてのもっとも大きな可能性がある」とは、トルストイの言葉です。未来への躍動感にあふれた皆さんが、また本年一年、伸びのびと才能の芽をはぐくんでいくことを、まず心からお願いするしだいです。
 皆さんの無限の可能性を、どこまで伸ばしていくかは、もちろん天分もあるでしょうが、私はそれ以上に自身の”気概”が左右するのではないかと思っております。”自分はかならず、この点で成長しよう””私は人々のため、社会のために、この面で役立つ人になっていこう”――こうした使命感、決意が固ければ固いほど、才能の芽はグングンと伸びていくものです。
 私が十代のころ、もっとも愛読した作家の一人にビクトル・ユゴーがおります。皆さん方もよく知っているフランスの文豪です。
 彼は幼いころから、家庭的に恵まれない環境で育つのですが、文学に興味をもち、十四歳のとき、ノートに「シャトーブリアンとなるか、さもなければ無だ」と記すほど、その気概はすさまじいものがあったのです。シャトーブリアンとは、当時の高名な文学者です。
 この彼の気概は年とともに強さをまし、幾多の悲哀と試練の坂を乗り越えて、後世にかずかずの名作を残したことはご承知のとおりです。
 とくに、日本でも多くの人に読まれてきた「レ・ミゼラブル」は、完成まで三十数年もかかったといわれています。若き日のユゴーが、あるとき、作中のジャン・ヴァルジャンと同じように、たった一片のパンを盗んだために五年の刑を科せられた男の話を耳にした。この実話に強く心を動かされたユゴーは、貧しい人々への同情と社会悪に対する正義感を才能の開花へと転化させ、六十歳という晩年に、ついに「レ・ミゼラブル”みじめな人々」という題名の大河小説に結実させたのです。
2  このユゴーの生き方に、少年時代の”ペンで立つぞ”との気概の、執念にも似た持続の姿をみるのです。
 豊かな才能の芽も、それを伸ばさずにおくものか、という負けじ魂がなければ、やがて枯れ果ててしまうでしょう。
 どうか皆さん方は、未来へ雄飛するにあたって、成長への気概、決意だけはだれにも負けない、という人であってほしいのです。この信念が弱ければ、なにかあればすぐ自分を卑下し、勉強に対する意欲を失い、責任を他に求めるような女々しい生き方となってしまうでしょう。それは敗者の姿といってよい。
 逆に、その一念が巌のごとく頑健であれば、たとえ不幸な環境にあってもそれを発条とし、絶えざる向上の人生を歩んでいくことができるでしょう。これ勝者の姿であります。
 そのためには勇気がなくてはならない。自分に負けない強い心をもつことが必要である。なにがあってもくじけない、いじけない、倒れても、また立ち上がる根性が大事です。この人こそ、まことの師子の子です。
 自分のため、人々のため、社会のため、平和のために、生涯、邪悪と戦い、正義を守りぬく勇気あるところ、才能は社会のあらゆる分野で、かぎりなく枝を繁らせていくことは間違いない。中学・高校へ進学し、大学へ進み、社会人となるにつれて、師子の子としての気概をいよいよたくましくし、二十一世紀の見事な大樹と育ちゆかれんことを願わずにはおれません。
 時代は皆さん方の成長を待っています。私の唯一の楽しみも、そこにあります。本年もまた、創価の若き苗木に栄光あれと祈りつつ、新年に贈る言葉といたします。

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