Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第217回11月度本部幹部会 初代会長の獄中書簡を銘記

1977.11.17 「広布第二章の指針」第11巻

前後
3  ある世界的著名な文豪の著書のなかに、このような一節がある。「だれか、かつて流罪をたたえる歌をうたったものがいるだろうか? 嵐のなかで人間を高め、きびしく強制された孤独のうちにあって、疲れた魂の力をさらに新たな秩序の中で集中させる、すなわち運命を創り出す力であるこの流罪を、うたったものがいるだろうか?」との一節であります。
 まさしく、牧口、戸田両先生の獄中における壮絶な戦いは”運命を創り出す力”そのものであったといえるのであります。そして、宿命に生きぬく人間一人ひとりの、さらにまた一国の、そしてまたさらに、全世界の宿命転換をも可能にする偉大なる力を、後世の私ども弟子一同に残してくださったことを忘れてはならない、と申し上げておきたいのであります。
 「四条金吾殿御返事」には「始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」とございます。
 始めも途中も最後も、ぜんぶ大難を通しきった人が真実の如来の使いであるとのご指南であり、まさにこの姿が牧口先生、戸田先生であられたわけであります。
 ただし、牧口先生も、戸田先生も、私どもは、その遺徳を後世永遠に顕彰し、大切に尊敬申し上げるのは当然であります。しかし、牧口先生も、戸田先生も、また私たちも、ぜんぶ凡夫であり、南無”帰命すべきその根本は、唯一、御本尊であるということを忘れてはならない。すなわち、御本仏は日蓮大聖人御一人であるということであります。したがって私どもは、三宝を敬うことは当然であります。
 ともかく、広宣流布という旅路には順風のときもある。しかし逆風のときのほうが多いということを、この御文をとおして知らなければならない。しかし、勝っても負けても、よいときも悪いときも、またなにがあっても、御本尊根本に、朗らかに悠々と、愉快に、自分自身の胸中は燦然たる凱歌をあげきっていける、信仰勝利の王者の生涯でありたいということを、ともどもに誓いあい、私のあいさっとさせていただきます。本日は、たいへんにありがとうございました。(大拍手)

1
3