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第217回11月度本部幹部会 初代会長の獄中書簡を銘記

1977.11.17 「広布第二章の指針」第11巻

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1  ご存知のように十一月十八日は、牧口初代会長のご命日であるとともに、創価学会の創立記念日でもあります。
 十七日の今夕は、牧口先生のお逮夜の勤行会を、牧口家のご遺族、戸田家のご遺族をはじめ、弟子一同が参列して、このように盛大かつおごそかに読経、唱題、回向をしていただき、心から感謝申し上げるものであります。ほんとうに、ありがとうございました。(大拍手)
 さて、創価学会も四十七周年とはいえ、その内容の実績と歴史と行動は、数百年にも通ずるといってもよい、広宣流布の連続平和革命でありました。今日まで、ご奮闘くださった多くの同志の方々に甚深の敬意を表するとともに、広宣流布途上、殉教なされた方方にも、心から甚深の感謝の意を表するものであります。
 思えば、初代会長牧口先生と第二代会長戸田先生とは、まことに深い縁で結ばれたお二方であります。戸田前会長は、牧口先生の七回忌法要にあたって「私は四回も牧口先生の、ご難にお供しました」と、万感こめて述懐されているのであります。
 その第一回は、西町小学校より左遷されたとき、二回目は、三笠小学校より左遷のとき、三回目は、芝の白金小学校から校長の座を追われたとき、そして四回目は、皆さんもご存知のとおり、あの軍部の弾圧によって、ともに巣鴨の東京拘置所にとらわれの身となられたときであります。その間、戸田先生は、身に影の添うがごとく、つねに牧口先生のおそばにあって、苦楽をともになされたわけです。
 獄中にあっても戸田先生は、ご老体であられる牧口先生のご健康と、一日も早い出獄を祈り続けておられたようであります。しかしながら牧口先生は、死して獄を出られた。その牧口先生のお葬式に列席した者は、わずか数人にすぎなかったといわれております。
 よいときは牧口先生、牧口先生といいながら、ひとたび法難に遭うや、その人たちは卑怯にも去り、また、それだけでなくして牧口先生、戸田先生を、さんざん非難する側に立ったのであります。ともかく、身をもって仏法に捧げ、社会に尽くしぬいた偉人を遇するの道が、かくのごとくであったのであります。
 戸田先生は、それを聞いて”よし、この身でかならず法要をしてみせる”と深く自身に誓いを立てておられたのであります。そして、三回忌、七回忌法要を見事に営み、報恩の赤誠を尽くされたのであります。
 牧口先生獄中に逝いて、早くも三十四年。恩師が寂光の宝刹に帰られてより、はや十九年。いま、私どもは、不肖の弟子ではありますが、こうして両先生のご遺徳を偲ぶことができることを無上の喜びとするものであります。とともに、霊山の両先生も、かならずや弟子一同の縦横無尽の広宣流布の活躍をご覧になり、心から賛嘆し、喜んでおられることを、私は深く確信するのであります。
 皆さんのお力によって、宗門においても、正本堂をはじめ、世界的な仏法の中心地たるにふさわしい偉容を整えることができました。また、学会においても、広宣流布のために、文化会館、研修道場等の構築ができました。
2  難をのりこえる信心
 次に私は、きょうの日の意義にふれまして、獄中の牧口先生が、ご家族の方に送られた一通の書簡を披露させていただきます。
 それは、昭和十九年一月二十六日付の書簡でありますが、そのなかで牧口先生は「心一つで地獄にも楽しみがあります」と、たんたんと記されているのであります。この行は検閲で削除されてしまっているところでありますが、私はこのさりげない記述に深い意味をおぽえる一人であります。
 同じ書簡の前の部分には「寒さの絶頂ですが、色色工夫して病気にかからずしのいで居ます」とあり、寒冷の暗き獄中の厳しさは、察するにあまりあります。そのなかで「心一つで地獄にも楽しみがあります」と、なんの気負いもなく述べておられる個所の、この一点の意味であります。
 私は、この一文から、たとえ身は獄中につながれていようとも、牧口先生の心のなかには、信心の確信の炎が、いや増して赤々と燃えさかっておられたであろうと痛感するのであります。
 まことに透徹された人生観であられますし、牧口先生は身命におよぶ大難のなかで「難即悟達」の信仰の極致を、私どもに教えてくださったわけであります。こうした牧ロ先生、そして戸田先生の、獄中での壮絶な戦いがあってはじめて、宗門を外護申し上げながら、今日の創価学会の大興隆があることを、私どもは生涯、いな、永遠に忘れてはならないと申し上げておきたいのであります。(大拍手)
3  ある世界的著名な文豪の著書のなかに、このような一節がある。「だれか、かつて流罪をたたえる歌をうたったものがいるだろうか? 嵐のなかで人間を高め、きびしく強制された孤独のうちにあって、疲れた魂の力をさらに新たな秩序の中で集中させる、すなわち運命を創り出す力であるこの流罪を、うたったものがいるだろうか?」との一節であります。
 まさしく、牧口、戸田両先生の獄中における壮絶な戦いは”運命を創り出す力”そのものであったといえるのであります。そして、宿命に生きぬく人間一人ひとりの、さらにまた一国の、そしてまたさらに、全世界の宿命転換をも可能にする偉大なる力を、後世の私ども弟子一同に残してくださったことを忘れてはならない、と申し上げておきたいのであります。
 「四条金吾殿御返事」には「始中終すてずして大難を・とをす人・如来の使なり」とございます。
 始めも途中も最後も、ぜんぶ大難を通しきった人が真実の如来の使いであるとのご指南であり、まさにこの姿が牧口先生、戸田先生であられたわけであります。
 ただし、牧口先生も、戸田先生も、私どもは、その遺徳を後世永遠に顕彰し、大切に尊敬申し上げるのは当然であります。しかし、牧口先生も、戸田先生も、また私たちも、ぜんぶ凡夫であり、南無”帰命すべきその根本は、唯一、御本尊であるということを忘れてはならない。すなわち、御本仏は日蓮大聖人御一人であるということであります。したがって私どもは、三宝を敬うことは当然であります。
 ともかく、広宣流布という旅路には順風のときもある。しかし逆風のときのほうが多いということを、この御文をとおして知らなければならない。しかし、勝っても負けても、よいときも悪いときも、またなにがあっても、御本尊根本に、朗らかに悠々と、愉快に、自分自身の胸中は燦然たる凱歌をあげきっていける、信仰勝利の王者の生涯でありたいということを、ともどもに誓いあい、私のあいさっとさせていただきます。本日は、たいへんにありがとうございました。(大拍手)

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