Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第9回教学部大会 ”人間のため”こそ仏法の根本精神

1977.1.15 「広布第二章の指針」第9巻

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7  神力品の「斯の人」に深意
 最後に、法華経神力品には「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」とあります。この経文に、まず「斯の人」とあることに注目したいのであります。「この如来」とも「この菩薩」とも「この僧」ともない。
 「斯の人」とは、いうまでもなく、日蓮大聖人は、ご自身であると断定されています。すなわち「斯の人」とあることに、法華経も、また日蓮大聖人も、どれだけ人間原点としての立場を貫いているかが明瞭なのであります。
 衆生の闇を滅するのも人間であれば、衆生も一人ひとり、喜怒哀楽の情をもつ人間であります。人間であるがゆえに人間の苦悩を打ち破ることができる。生命をもったものが、生命をみがいていくことができるのであります。
 また、そのあとに「世間に行じて」とあります。世間とは、社会であり、社会の泥沼のなかで戦うのでなければ、衆生の苦悩の闇を晴らすことは不可能なのであります。
 日蓮大聖人が立宗以来、当時、日本の中心地である鎌倉で弘教活動を展開されたのも、「世間に行じて」の経文どおりのお振る舞いであります。
 ゆえに、世間の方向へ、社会のなかに仏法を展開していかなければ、大聖人の実践、そして目的観とは逆になってしまうことを恐れるのであります。
 いま私は、恩師戸田先生が昭和二十八年の元旦に「学会は身には功徳の雨をこうむり、手には折伏の利剣を握って、獅子王の勇みをなしていることを堅く信ずる」といわれたことを思い出します。私どもも、燦々たる元初の功徳の陽光を胸に浴びながら、慈悲の利剣を固く手にし、獅子王のごとくこの一年もまた、悠然たる生命で、創価桜の道を切り開いてまいりたいと思います。
 大切な皆さま方の、ますますのご健康とご活躍をお祈り申し上げまして、私の話といたします。(大拍手)

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