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日蓮大聖人・池田大作

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第9回教学部大会 ”人間のため”こそ仏法の根本精神

1977.1.15 「広布第二章の指針」第9巻

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6  学会の会館は民衆蘇生の道場
 また近くは末法の御本仏日蓮大聖人も、一生涯、既成仏教のような寺院はもたれなかった。お亡くなりになるまで草庵であります。折伏弘教の指揮をとられ、また自ら布教のために歩く拠点としての庵室をもたれたのみであります。
 これは当時、伽藍仏教と化していた宗教界への鋭い警鐘であり、仏教革新運動であったといえるのであります。大聖人も、また釈迦も、あくまで革命運動を遂行されたということを忘れてはならないと思います。
 ともあれ寺院とは、このように、本来、仏道修行者がそこに集い、仏法を研鑽し、そこから布教へと向かうための道場、拠点であることは論をまちません。その本義からするならば、今日、創価学会の本部、会館、また研修所は、広宣流布を推進する仏道実践者が、その弘教、精進の中心拠点として集い寄り、大聖人の仏法を探究するところであり、そこから活力を得て、各地域社会に躍り出し、社会と民衆を蘇生させていく道場であります。すなわち、学会の会館、研修所もまた「近代における寺院」というべきであります。(大拍手)
 もちろん日蓮正宗の寺院は、御授戒、葬儀、法事という重要な儀式を中心とした場であり、これに加えて、広布の法城たる会館があることによって、初めて進歩と躍動の”閉かれた宗教”の勃興があることを銘記していただきたいのであります。(大拍手)
 先日、ある大使と歓談したさい、その大使は、宗教がいわゆる既成の寺院に閉じこもったものではなく、平和、文化のためにも、もっと幅広い次元にまで浸透していくべきであり、その意味で創価学会の路線は正しいと思う、と評価をしておりました。
 いままでの既成宗教は、いわば民衆をそこに従属させるかたちで安泰を保ってきました。しかし、それのみでは保守であり、現在においては、重大な行き詰まりを露呈してしまっております。ゆえに二重方式で、わが会館を守り、そこを広布の拠点としていく行き方は、かつてない近代的な方程式であり、さまざまの風波を乗り越え、一切を外護していくための新しい行路であり、基盤なのであります。(大拍手)
7  神力品の「斯の人」に深意
 最後に、法華経神力品には「日月の光明の 能く諸の幽冥を除くが如く 斯の人世間に行じて 能く衆生の闇を滅し」とあります。この経文に、まず「斯の人」とあることに注目したいのであります。「この如来」とも「この菩薩」とも「この僧」ともない。
 「斯の人」とは、いうまでもなく、日蓮大聖人は、ご自身であると断定されています。すなわち「斯の人」とあることに、法華経も、また日蓮大聖人も、どれだけ人間原点としての立場を貫いているかが明瞭なのであります。
 衆生の闇を滅するのも人間であれば、衆生も一人ひとり、喜怒哀楽の情をもつ人間であります。人間であるがゆえに人間の苦悩を打ち破ることができる。生命をもったものが、生命をみがいていくことができるのであります。
 また、そのあとに「世間に行じて」とあります。世間とは、社会であり、社会の泥沼のなかで戦うのでなければ、衆生の苦悩の闇を晴らすことは不可能なのであります。
 日蓮大聖人が立宗以来、当時、日本の中心地である鎌倉で弘教活動を展開されたのも、「世間に行じて」の経文どおりのお振る舞いであります。
 ゆえに、世間の方向へ、社会のなかに仏法を展開していかなければ、大聖人の実践、そして目的観とは逆になってしまうことを恐れるのであります。
 いま私は、恩師戸田先生が昭和二十八年の元旦に「学会は身には功徳の雨をこうむり、手には折伏の利剣を握って、獅子王の勇みをなしていることを堅く信ずる」といわれたことを思い出します。私どもも、燦々たる元初の功徳の陽光を胸に浴びながら、慈悲の利剣を固く手にし、獅子王のごとくこの一年もまた、悠然たる生命で、創価桜の道を切り開いてまいりたいと思います。
 大切な皆さま方の、ますますのご健康とご活躍をお祈り申し上げまして、私の話といたします。(大拍手)

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