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日蓮大聖人・池田大作

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創価学会の目指すもの 二〇〇一年への四半世紀

「池田大作講演集」第7巻

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9  創価学会の連動
 会長 ここで再確認の意味で申し上げますが、いかに、教育、文化といっても、そのエネルギー源は、なんといっても、生命のなかからほとばしっていくものです。したがって、閉塞された生命を打ち破って、内よりみずみずしい力をわき立たせていくバネが必要です。これが、日々の一人ひとりの勤行、唱題です。更に、人間の互いの触発作業の場として、座談会が、決定的に重要な活動になる。このことについては、昨年の新年号に、すべて明らかにしてありますので、もう一度、これを血肉としていただきたい。
 いってみれば、座談会は、創価学会の生命線であり、人間の本性に根ざした仏法流布の大波です。この大波を起こさずして、教育、文化といっても、さざ波に終わってしまうにちがいない。
 それから、幹部は、決して官僚化してはならない。一人ひとりを大事にし、自ら動き、語り、その人がいるところ、絶えず渦流が起きているという状況でなければ、沈滞した創価学会になってしまう。
 仏法には、知道者、開道者、説道者という三つの仏法者のあり方が説かれている。天台によると、知道者というのは意不護(意を惜しんではならない)、開道者とは身不護(身を惜しんではならない)、説道者とは口不護(口を惜しんではならない)とあります。したがって、たえず心を砕いていく、動いていく、対話していく――この三つが幹部に息づいていることが必要です。この息づきがあるかぎり、生命体としての創価学会には停滞がない。
 野崎 会長の日々の行動を思うにつけ、そのことは強く感じます。一人の人間の渦動が一切の変革の起点であることは、永久に変わらない創価学会の血脈ですね。
 北条 いままでの話で、創価学会が二十一世紀までの四半世紀、なにをめざすかということ、そして私たちがいかなる姿勢であるべきか、どのような行動であるべきかということが明らかになりました。更に猊下が、総会で「舍衛の三億」の原理を発表されましたが、これは、私たちの運動として、どのように考えたらよいでしようか。
 会長 これは、日本の広宣流布について、猊下が、次の目標を示されたものです。つまり、宗門にはかねてからの伝統として、広宣流布というのは、日本国中、一人も残らず信仰することだという理想を描いていたことがあった。しかし、それは、あくまで広宣流布というのが、未来の理想としてある段階のときのことであり、広宣流布が展開されつつある現在、一つの現実的な路線を敷かなくてはならない、ということです。
 と同時に、これは、永久に、日蓮正宗を国教にしないとの意味が込められています。昨年十月、私が猊下に、仮に日本が、国粋主義、国家主義の方向をとった場合には、国立戒壇にするのですか、とおうかがいを立てたとき、猊下は、即座に「永久にしない」と断言されていました。じつは「舍衛の三億」の話も、このときに話題となったのです。
 それから「舎衛の三億」ということで大切なことは、仏法理念の真実の流布ということです。時代社会が、意識するとしないとにかかわらず、仏法を発想の源泉とする方向に動いていくということなのです。
 したがって、それであせる必要は、まったくありません。仏法をたもった一人ひとりが、日常の生活、現実の世界、自己の周囲において、信頼の同心円を拡大していくことに尽きるのです。折伏というのは”法”への帰伏ということが根本になりますが、それとともに人間としての共鳴であり、生命自体の感化といってよいでしよう。
 八矢 そうしますと、仏法というものが、私たちだけのものではなく、社会の共有財産となり、民衆の核になっていくと考えてよいですね。
 野崎 仏法は、人類への貴重な遺産であり、やがて時代的思潮の底流を形成していくようにしなくてはなりませんね。そのためには”法”の偉大さとともに、”人”の社会における信頼を高めていくことですね。
 会長 「減劫御書」に「法華経に云く「皆実相と相違背いはいせず」等云云、天台之を承けて云く「一切世間の治生産業は皆実相と相違背いはいせず」等云云、智者とは世間の法より外に仏法をおこなわず、世間の治世の法を能く能く心へて候を智者とは申すなり……外経の人人は・しらざりしかども彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり」とあります。
 結局、社会のなかにしか、仏法はないのです。また世間の人々が、しぜんのうちに、仏法の知恵を発想としているという時代をつくっていくことでしようね。しかし、そうした時代を創造していくためには、まずなによりも仏法をたもった人が、その生活において、仏法がにじみ出て、人々の共感を得ていくことが、もっとも重要な決め手であると思います。
 北条 このことをふまえたうえで、これからの創価学会の運動は、更にダイナミズムが必要です。まず地域に即した主体性ある活動をさらに伸ばしていく。また、速距離通勤者、団地生活者、農村、漁村、社会的専門者など、個人差、生活サイクルの差を理解して、立体的な活動が必要になってくると思います。また、現在、同じ人間としての共通の立場から、人間広場運動を進めてきておりますが、これも、更に拡大していきたい。大B協議会を中心とした、自発的、能動的の活動も、当然進展させていく。こうした諸活動を、たんねんに盛り上げていくことが大事でしようね。
 野崎 結論的になりますが、こうした地道な活動の持続が、山梨県総会での会長講演のごとく、学会が平和勢力としての確実な地歩を築き上げていくことになるのでしようね。
 会長 そのとおりだと思う。最後に、もう一度、世界的視野に立って考えれば、現在、世界的展望に立つ指導者が、欠如していることです。人格、哲学、見識、国際性、行動力の面で世界を指導する多くの人材が出てもらいたい。私は、そのために道を開いていく。どうか、その意味で、人材育成にも、全力をあげてほしいのです。
 また、この背景には、学会員一人ひとりが、いずれの分野であれ、立場であれ、太陽の存在として輝いてもらいたい。その延長線上に、確実な平和への力が結集されていくからです。
 なかんずく指導的立場にある人の、絶えざる自己変革の連続こそ、今日までの権力の論理の流転に、終着をもたらすことになる。個人においても、総体においても、創価学会は人間革命運動が基調である。人間革命こそ、平和への無類の砦なのです。平和は、言葉ではない。うたい文句でもない。一人ひとりの一念のなかから発光してくるものであると、訴えておきたい。

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