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日蓮大聖人・池田大作

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長野県総会 社会の客観的状況は正法興隆を切望

1974.4.26 「池田大作講演集」第7巻

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5  正法興隆の時
 さて、ここで話題を変えて、ひとこと申し上げさせていただきます。
 先日の新聞には「天下大乱」という文字が見えておりました。まさしく今年は経済大乱、物価大乱、または物価狂乱のさなかにありまして、春闘のゼネストも、過去に例をみない大規模のものでありました。ゆえに「大乱」という表現も、あながちオーバーだというわけにはいかないようであります。
 ひるがえって、日蓮大聖人ご在世の文永十一年(一二七四年)には、蒙古第一回来襲という未曾有の「大乱」がおそっております。
 この文永十一年は、日蓮大聖人およびご一門にとって、画期的大転換となった年であります。すなわち、二月には佐渡流罪からご赦免となり、三月二十六日には鎌倉にお帰りになり、そして四月八日には平左衛門尉その他に対して三回目の諫暁をなされ「蒙古の来襲は必ず年内であろう」と予告なされ、しかも容れられずして、ついに五月十二日、鎌倉を出られ身延の山に入られたのであります。
 はたせるかな、十月には元軍が対馬、壱岐に来寇し、十一月に入るや、台風にあって敗退していったのであります。
 このことにつき強仁状御返事では、次のようにお示しであります。
 「就中なかんずく当時我が朝の体為る二難を盛んにす所謂自界叛逆難と他国侵逼難となり、此の大難を以て大蔵経に引き向えて之を見るに定めて国家と仏法との中に大禍有るか……予粗先ず此の子細をかんがうるの間・身命を捨棄し国恩を報ぜんとす、而るに愚人の習い遠きを尊び近きをあなずるか将又多人を信じて一人を捨つるかの故に終に空しく年月を送る」云云。
 かくして、鎌倉幕府はこの文永十一年から、いよいよ“正念場”を迎えたのであります。そして再び、ちょうどそれから七百年を経た今日、わが国は資源輸入国という特異な体質上、輸入、輸出にからんで、大きな正念場にさしかかっております。
 日本の前途は大変な時代の第一歩に入ったわけであります。大乱的様相は、その現れである。いまほど正法興隆が必要な時はないと、私は思うのであります。
 私たち昭和の今日に生きる同志は、はるか七百年前をしのびつつ、大聖人の心を心とし、この激動の社会を、勇気をもって、仲良く団結して開拓してまいりたいと思いますけれども、よろしくお願しいたします。(大拍手)
 そして、陽春のきょう四月二十六日のこの日を「長野の日」と決め、毎年この日を楽しい、そして価値ある地域文化興隆に貢献していく伝統を残していかれますよう、提案申し上げておきたいのであります。(大拍手)
 更に、この一年一年の軌跡を延長して、西暦二〇〇〇年四月二十六日には、きょうお集まりの方方が長生きしていただいて、長野県にとって歴史的な文化祭を、盛大に開催されたならばどうか、ということも申し述べておきたいのであります。(大拍手)
 最後に、この会場提供の体育館当局の方々と設営関係の担当の方々に厚く御礼申し上げ、そして皆さん方の健康といよいよのご清栄とをお祈り申し上げまして、私の話を終わらせていただきます。(大拍手)

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