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日蓮大聖人・池田大作

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第1回大阪幹部総会 永久不壊の福運を構築

1973.9.20 「池田大作講演集」第6巻

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4  二十年を目標に進もう
 こうした人間の内面からにじみでてくるような福運は、一朝一夕では身につかぬものであります。長期にわたる忍耐強い、仏道の活躍が必要であります。早い話、さきほどの四条金吾の例をみても、入信二十年以上過ぎてから、やっと難も消え、福運が具わっているようにみられる。子供が一人前になるためにも約二十年かかる。したがって皆さん方も、なにをするにしても二十年が道理でありますから、これを一つの目標として、進んでいただきたいと思います。
 大木になるにも、やはり二十年はかかります。一切仏法は道理であります。考えてみれば大阪方面は、昭和二十七年ごろから、入信者が増えてきたようでありますから、今日、だいだい入信二十年という方々が、人生の総仕上げをしているということになります。したがって、信仰経歴二十年クラスの方々が満ちていくのは、これから十年先であるといってよい。そうした意味からも、今後の十年の将来には、大きな楽しみが待っていると、私は確信しておきたいのであります。
 きょうも、そしてあすも、潔い人間革命の前進として、自分のため、世のため、子供のため、そして妻のため、子孫末代のために、まず第一期を、二十年を目標にして、勇躍、学会活動に励んでいただきたい。
 そうした福運、幸福というものは、その一日一日の信心と生活を大切にしつつ積み重ねていくところから、構築されるということを忘れてはならない。なにかネオンサインが点滅しているような行き方ではほんものにはなりません。「水の信心」といいますように、連続し持続した、たゆみなき信心がまことの信心なのであります。
 人生には、いろいろな苦労が多くつきまとってきますから、連続して、たゆみない精神で信仰するということはなかなか大変なことである。だが、この世に生を受け、人間王者の栄光をつかむ人生観に立つことを決意した我々は、莞爾として難を乗り越え、唱題に唱題を重ねて、この決意を全うしなくてはならない。永遠の生命観に立った次元から考えた場合には、二十年、三十年、五十年は、まだ短時日であることも忘れてはならない。
 日蓮大聖人は「かくれての信あれば・あらはれての徳あるなり」とも仰せられている。一日一日はめだたず隠れているような活動、信心であっても、その実践は、いつの日か必ず徳として顕れる、とのご断言であります。
 私もこれまで、ずいぶん大勢の人を見てまいりました。一生懸命苦労をしてがんばっていながら、なかなか表の舞台に現れないような人もたくさん見てまいりましたが、そうした人たちも、やはり十年、二十年、三十年という信仰歴をへて、見事に光り輝く存在になっている姿に接することもたびたびであります。
 どうか関西の皆さん方は、お互いに励ましあって、更に偉大な関西の人間勝利の金字塔をつくるために、この第二章の先駆を切って立派に戦っていただきたいことを、心からお願いするものであります。(大拍手)
 ともかく、関西が健在であるならば「学会は永遠に健在なり」との自負をもって、また胸を張って、庶民群のなかで悠然と指揮をとっていただきたい。
 ょうは懐かしい大阪へまいりまして、心に浮かぶままに、気軽に所感を申し述べさせていただきました。最後に関西の皆さん方の、ますますの、またよりよき健闘を祝し、発展を心から祈り、
  いざや起て 関西ありて乃 広布かな
 との一句を贈って、私の話を終わらせいただきます。(大拍手)

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