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日蓮大聖人・池田大作

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学生部夏季講習会 悩み避けず大道歩もう

1973.7.29 「池田大作講演集」第5巻

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7  「総勘文抄」を学ぶ意義
 最後に、この講習会で学習する「総勘文抄」についてひとこと所感を述べてみたい。この御書には、私自身ひじょうに思い出深いものをもっています。それはちょうど、私が諸君ぐらいの年齢のときのことであります。昭和二十六年といえば、恩師戸田先生が第二代会長に就任され、青年部が結成され、折伏の展開が始まった年であります。その二十六年の夏の一夜、戸田前会長のご自宅において、この「総勘文抄」を習った思い出があります。
 メンバーは十人内外であったでしょう。当時の私は佐渡以降の御書のなかでは「総勘文抄」はまことに異色な感じをうけていた。当時は、学会の教学も草創期であったが、戸田先生はなんと思われたか、一、二週間の予告期間をおいて、この「総勘文抄」を教材に取り上げられたのでした。
 講義といっても、全文を逐条的に講義されたのではない。交代で読んで、文段ごとに戸田先生が我々に鋭い質問をされ、メンバーがそれに答えた。皆十分に勉強しておりませんから、緊張して答えた記憶があります。(笑い)
 そして、大事なところについて、所感を戸田先生が述べてくださるという勉強会です。その所感的な講義は、じつに先生の深い体験と、生命の奥深くからしぜんに水が湧きいずるがごとき、明暢な思想に裏づけられておりました。私はそれに接して、いまだに忘れえない大きな感動をおぼえております。
 その講義は、頭に入ったというよりも、心臓へしみ入ってきた、という感じであります。仏法の学問は、このように真髄を授受していくということが、ひじょうに大切ではないか、このことも感じました。
 法華の十妙の一つに、感応妙があげられているが、師弟相対の感応を通じてこそ、信解も知解も成り立つものであると、そのときしみじみ思ったしだいであります。この講習会で「総勘文抄」を学習するにあたって、私の体験を、なんらかの参考にしていただければと思って、申し上げたしだいであります。
 この御書についてひとことつけ加えると、この御抄では三世の諸仏が一致した哲理が展開され、生命の一大革命について宣言されている書であるといえる。歴史的にみるならば、三世の諸仏の一大会議というものがあったわけでも、これからあるわけでもない。しかし、時代を異にして出現される諸仏は、生命の哲理に関しては、一人として、いささかの相異もありえないと示されているのである。
 諸仏の教説が、それぞれいかに特色づけられようとも、そのさし示している内容は、化他方便から自行真実へと向かい、衆生の一念の無明の闇を破って一心法界、心中の常住不変なる総の三諦、つまり衆生法有の妙法蓮華経の開覚をうながし、導き出すものである。この意味において、「総勘文抄」は、まさしく生命革命の御書ともいえるのであります。
 最後、結句の段にいわく「三世の諸仏と一心と和合して妙法蓮華経を修行し障り無く開悟す可し」と。我々はこの一句に万鈞の重みを感じ、生涯肝に銘じて、名誉ある広宣流布の大道を進んでいかなければならないと思うしだいであります。
 終わりに、諸君の限りなき成長とご健康とを祈って、この一時の対話を終わらせていただきます。(大拍手)

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