Nichiren・Ikeda
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第6回高等部総会
すすんで信行学を
1973.8.6 「池田大作講演集」第5巻
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6 万事、若人らしくいこう
最後に「万事、若人らしくいこう」と申し上げておきたい。皆さん方高等部員は、世界の高校生のなかでもっとも若人らしい存在であり、また、最高に模範的な先駆をきっていることを確信してほしい。
最近は、部屋に閉じこもって、なかなか外に出ない男子高校生が増えているようである。また、女子高校生のなかには、駅のロッカーへ着替えを入れておいて、学校がおわると制服を着替え、遊び歩く生徒が増えているようである。いつの時代にも、はみ出す生徒や、社会からはみ出す人間が何パーセントかいるようでありますが、私はいま、そのこと自体を論じようとするのではありません。
わたしが述べたい点は、閉じこもる男子、着替えして遊び歩く女子は、どちらも若人らしくない、ということである。
男子の場合、高校二年のころから、大学入試の準備に入るから、どうしても机の前に座る時間が多くなる。それがこうじて“閉じこもり”が週間になってしまったのでは、なんとも若人らしくない、と思う。また着替えて遊び歩く女子高校生は、こざかしい女性であって、行動が卑屈で、若人らしくない。
いまあげた二つは、ほんの一例であるが、高等部諸君は、万事について、若人らしく行動していっていただきたい。はつらつと、闊達に、生きいきとした態度で、高等部の三年間を過ごしきっていただきたいのであります。(大拍手)
御書には「此の法華経には我等が身をば法身如来・我等が心をば報身如来・我等がふるまひをば応身如来と説かれて候へば、此の経の一句一偈を持ち信ずる人は皆此の功徳をそなへ候」とある。
振る舞い、行動が、応身如来という妙法の原理に照らしてみれば、閉じこもりや着替えの例は、どうみても如来の所作とはいえず、如来を顕現していく仏法から、いかにほど遠い振る舞いであるかが、すぐわかると思う。
諸君は、もう自分で分別をつけようと思えばできる年代であり、まして諸君は妙法の健児であり、仏の子である。人間建設の信仰を知らない高校生たちが陥っている弱点を、克服できる使命の人であると信頼しております。
どうか、万事、学会っ子らしく、高等部員らしく、若人らしく振る舞いを、これからもつらぬくよう、お願い申し上げるしだいであります。(拍手)
一万人の諸君の幸せと未来の栄光を、心から祈って、私の話を終わります。(大拍手)