Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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高等部全国部員会 強い後継の自覚を

1970.8.4 「池田大作講演集」第3巻

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8  色心とも健全な“全人間”に
 次の申し上げておきたいことは、若くして妙法をたもった諸君は、それ自体、最高に福運ある人々であるということです。福運を確信して進むとき、福運はますます積み重なってくるでありましょう。それが妙法の功力であり、一念三千の理法であります。
 しかし、福運があるからといって温室育ちになり、社会の厳しい実相、懊悩に対して盲目になってはなりません。したがって、つねに目を社会に開き、人々のなかにとけこみ、苦悩解決のため戦うという、正義感にあふれた真実の革命児に育ってほしい。
 経文には「如蓮華在水」とあります。これは地涌の菩薩を賛嘆した文でありますが、これには“出水の義”と“華開の義”とがあります。すなわち、蓮華は泥沼に生ずるが決して泥沼に没するのではなく、必ず水より出でて、大きく清らかな花を咲かせることをいうのです。
 地涌の菩薩とは、妙法の革命児の異名であります。諸君もまた、民衆のなかに生き、社会の泥沼のなかに入って泥沼のなかから育ってくる。そして、そこに花が咲かせていくという方程式を忘れないでいただきたい。
 最後に諸君に要望したいことは、高等部時代に頑強な身体をつくってほしいということであります。どのように優秀な頭脳をもっていても、病弱であれば、広宣流布という激烈な戦いを生きぬくことは不可能である。色心ともに成長する“全人間”であることが大切です。
 四条金吾御返事に「きたはぬ・かねは・さかんなる火に入るればけ候、冰をに入るがごとし、剣なんどは大火に入るれども暫くはとけず是きたへる故なり」とあるとおりであります。いかなる精神的、肉体的苦悩にも打ち勝っていく、また疲れない頑健さをもたなくてはなりません。
 諸君が強靱な身体を築き上げることができるよう、大御本尊に祈りつつ、私の話を終わらせていただきます。

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