Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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全国大幹部会 青年の信心で「栄光」を築かん

1968.1.2 「池田大作講演集」第1巻

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6  真実の謙虚と勇気と誠実の人生を
 幹部は機関紙を熟読していただきたいことは当然であります。それを読まずして、戦いはできない。だがそれとともに、一般の一流新聞等もよく読み、時代、社会の動向を、鋭くキャッチして誤りのない指揮をとっていける幹部になっていただきたい。そして、幹部はよく読み、よく書き、よく語り、よく指導し、敵に対しては厳しく批判ができる名将でなくてはならない。
 ともあれ、人がどのように中傷しようが、広宣流布の歩みは、刻一刻と進んでいることは断じて間違いない。この確信で前進していただきたい。嵐があっても、雪があっても、太陽は天空に輝いている。そして、刻一刻、一日一日と月日は過ぎ去り、新しい時代がやってきていることも間違いない。
 過去においても、無認識な、感情的な、敵意をもった評論家等がたくさんいました。最近では、だいぶ認識してきた人も出てはきましたが、しかし、これからも、学会の前進が偉大になれば偉大になるほど、種々の批判の波があることも考えなくてはならない。それが広宣流布は間近であるという証拠であり、仏法の方程式である。
 しかし、そのような私達仏弟子を批判する人、すなわち、傲慢な人々に対しては、大聖人は法は法華文句を引かれ「人を謗じ法を謗ずれば定めて阿鼻獄に堕ちて更に出ずる期無し、世人斯の義を知らずして舌に任せてたやすすく談じて深害を顧みず寧ろ日夜に十悪五逆を作るべしとも一言一語も人法を謗ず可からず」と申されております。
 真実の謙虚と勇気と誠実の人生は、末法の仏法の真髄である大御本尊を奉持し、それを行ずる人であります。それを批判する者は傲慢の人であります。
 かのシェークスピアは「傲り高ぶった人間は、吾と吾が身を食いやぶる。傲りが己れの鏡となり、己れの喇叭となり、己れの年代記となる。その傲りだけを満足させ、実行には一切身を委ねずにいれば、実行の方でも、その満足感に浸って、跡形も無くなってしまうだろう」といっている。私どもは、ただただ勇敢に広宣流布のために前進する以外にない。しかし、選挙戦においては、あくまでも好感をもたれる戦いでなくてはならない。なぜなら、私どもの戦いは民衆を味方にする戦いだからであります。故に民衆が納得する戦いでなくてはならない。
 最も価値ある行動をとり、たとえ事件があっても、一切を変毒為薬して、立派な結果を生んでいける指導、一日が三日間、一週間に通ずるような、いつも聡明な指揮、指導が必要であります。
 古い世界で葛藤し、よどみ、空転するのでなく、あくまでも新天地へ新天地へと、開拓の道をつくってまいろうではありませんか。(拍手)
 最後に私どもは、日蓮大聖人の弟子として再び聖人御難事抄の精神を自覚していきたい。
 すなわち「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ、師子王は百獣にをぢず・師子の子・又かくのごとし、彼等は野干のほうるなり日蓮が一門は師子の吼るなり」云云と。この決意を深くもち、本年も再び、各部署で最善を尽くして、民衆救済の大船を更に一歩進めてまいろうではありませんか。(拍手)

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