Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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実践者こそ大信者 長崎会館入仏式

1964.9.12 「会長講演集」第11巻

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4  また、話は前後しますが、いまの三類の強敵、すなわち俗衆増上慢、道門増上慢、また僣聖増上慢といいます。俗衆増上慢、道門増上慢、これはすでに過ぎ去ってしまったものです。僣聖増上慢については、戸田先生はよく評論家の批評、ならびに国家権力の弾圧であると申されました。しかし、国家権力の弾圧はできっこない。反対に政治屋が、うちの議員におこられているのですから、これはできっこありません。
 評論家がのさばっておりますけれども、これも蚊が鳴くようなものです。日蓮大聖人よりも偉いつもりでいる。釈迦よりも、天台よりも、伝教大師よりも、自分はたいしたものと思い上がっているのです。ほんとうにりっぱな人であり、偉大な評論家であるならば、偉大なものに対しては謙虚さとがあります。増上慢、思いあがり、これが、いまの学会批評の評論家の連中なのです。
 ということは、このあいだ、評論できるときは評論家らしいけれども、できなくなったらもうおしまいではないかといっておりましたが、間違った評論をしたら評論家としての生命を断たれるわけです。実際問題は、二流三流の連中ばかりしかいないのです。“信なき言論は煙のごとし”こんどは諸君が勉強に勉強を重ねて、利害のための評論家でなく、生きた民衆代表の評論家として大きく活躍していただきたい。
 それには、いちばんてっとりばやい行動はなにか。これは折伏です。そしてまた、もういちだん応用して考えるならば、選挙です。議員をたくさん送ることです。
 それ自身が僣聖増上慢を打ち破るもっとも近道であります。戦おうではありませんか。

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