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日蓮大聖人・池田大作

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題目が一切の根本 夏季講習第3期大幹部会

1964.8.7 「会長講演集」第11巻

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5  同じことばなどというのはオウムでもいえます。汝自身が、感動せずして、どうしてひとを感動させることができるのか。自分自身が納得せずして、どうして人を納得させることができるのか。自分自身が納得せずして、どうして人を納得させることができるのか。結局は一念三千、依正不二、自分自身の革命、自分自身の成長、自分自身の信心、自分自身の躍進のみが、支部員、同志を、後輩を引っぱっていける根本になるのです。
 それがない幹部であったならば、退転です。進まざるを退転といいます。前進の源泉はなにか、なんといっても題目であります。後輩の人たちや、疲れている人たちに対しては、大きく包容してあげてもらいたい。
 だが、幹部として自分自身は、より以上に題目をあげ、より以上に吸収していこう、この熱意があったときに、いっさいのものが血肉に変わるのです。その実相が、後輩、同僚に対して、いっさいり原動力を与えることができるのです。
 それが信心です。したがって、幹部になったからといって、惰性に流れることなく、人よりよけいに題目をあげる、人よりもよけいに納得していく成長する。力をもっててくための前進をする。そのことをいつも忘れないで、進んでいっていただきたいと思うのです。
 その人が偉いのです。勇猛精進しきった人なのです。それがない人は、たとえ会長であろうが、理事長であろうが、理事であろうが、支部長であろうが、その人はもう負けいくさなのです。信心はとまっているのです。位だけあって心はとまっているのです。それだけ罰をうけるのです。
6  どうか私に代わって、八月の幹部会のときは相当数の本部ならびに、支部の拡充がなされます。理事も二十人、三十人、四十人とふえる考えです。さらに創価学会は発展を重ねます。そのときに、いちいちやかましいことは私どももいえなくなってきております。また、心根本に自覚をしていくことはとうぜんですから、大幹部にはいう必要もないわけです。
 ただ、なにかいわれなくなったり、遠くのほうに自分がいると錯覚した場合には、堕落したり、向上がとまるものです。遠くにいればいるほど、成長する人は偉い人です。その点を忘れないように、ひとつがんばっていただきたいと思います。

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