Nichiren・Ikeda
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革新のなかの革新
5月度男子部幹部会
1963.5.6 「会長講演集」第9巻
前後
4 保守でも救われなかった人間が、日蓮大聖人様の仏法によって救われた。革新といっても、叫んでも、救いきれなかった、何千、何万、何十万人の人が大御本尊様の力によって、学会の力によってりっぱに救われた。すなわち、だれびとがなんと批判しようが、創価学会の前進こそがもっとも私は進歩のなかの進歩であり、革新のなかの革新であると断言するのであります。
批判する人それ自体が、創価学会の本質を知らないではありませんか。王仏冥合のなんたるかを知らないではありませんか。また宗教から論ずるならば、既成宗教に対して、それを保守とするならば、新興宗教は革新ともいえるかもしれません。
ですから新興宗教といわれております。両方ともたいしたことはありませんし、邪道でありますけれども、知識階級がバカにされきっておりますけれども、じっさい創価学会の前進は、古さをいえば久遠元初、近くをいえば七百年前であります。だが既成仏法もひろまりきったあと、新興宗教もひろまりきったあと、ぜんぶひろまりきったあとに、創価学会の折伏の大行進があったわけです。あらゆる面から総合して、王仏冥合の思想、そしてまた創価学会の思想、前進の姿は、絶対に進歩のなかの進歩であると、一念のめざめがなくして、なんの真実の革新や進歩があるかと私はいいたいのです。本源的の一念のめざめがある、そこからでき上がったいっさいが、初めて私は真実の革新であり、進歩であると確信するのですけれども、どうでしょうか。
どうか、私どもこそがもっとも時代の先駆を進み、時代を切り開いているという誇りをもって、だれびとがなんといおうが「なんと時代遅れなことをいっているのだ」と見下げつつ、楽しみきって仲良く、またこの一年間、がんばっていこうではありませんか。