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日蓮大聖人・池田大作

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冬のごとき信心 浜松会館入仏式

1962.5.21 「会長講演集」第7巻

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1  本日は、たいへんに、おめでとうございました。皆さん、うれしいでしょう。 
 ただいま、理事長からもお話がありましたが、浜松の学会員の皆さん方は根拠地がなくて、牙城がなくて、長いあいだ、ひじょうに不便をきたしていたことは、私も苦痛でありました。小さいながらも、このように、ひとつの牙城ができたことは、皆さんもうれしいと思うでしょうし、私も、これで、ひじょうに安心なのであります。
 くる途中に、星野理事が「きょうは弘長元年五月十二日、日蓮大聖人様が、伊東に流罪なされた日である」こういうふうに、おっかない顔をしていっておりましたが、初代の浜松の支部長も、死魔と戦って、そうして広宣流布の花と散っていきました。
 今、理事長から話があったごとく、いろいろな点で、浜松には、三障四魔が長くつづいておりました。しかし「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」われわれの一生成仏のために、永遠の幸福を築くために、十年や二十年の、過去遠々劫の罪障消滅のために、罪業消滅、宿命転換のために、三障四魔と戦っていくことぐらいは、よく考えてみれば、楽しいことなのです。ありがたいことなのです。
 したがって、きょうは、ひじょうな雨で、本来ならば、天気がよければ「諸天善神の加護があって」と、皆さん方のほうはいいたいところですが、そうはいかないで、反対に、今度は、われわれの信心を、五月十二日をいつも胸に刻んで」日蓮大聖人様が伊東に流された日だ。どんなことがあっても、必ず春がやってくるのだという、戒めの日なのだ」という気持ちでがんばっていただきたい、このようにお願いするのです。
2  「九仭の功を一簣に虧く」また、信心が五年、七年、十年とたって、幹部になってくると、組織のうえ、幹部という位のうえでは、信心をきちんとやっているような錯覚をおこして、事実は、だんだんと信心が弱まり、しらずしらずのうちに、退転をしているようなこともあるのです。
 純真なる信心で、一日一日、一年一年を建設してきたときは、ひじょうに楽しい、感激の、信心生活ができるものでありますが、ちょっと慢心になったり、ゆだんをして、せっかくの築いた自分の信心、自分の功徳というものを、一簣に虧いてしまうことが、凡夫の常であります。
 そういう意味において、きょう十二日、雨の日に、皆さん方が、心をひきしめて、一年ごとにきょうの日を思い起こして、すすんでいかれるということは、私は、ひじょうにしあわせであると、こういうふうに考えられるのです。
 それで、皆さん方は、なにもかもご承知でありますが、第一番目になんといっても、大事なことは、朝晩の勤行、題目を数多くあげることであります。
 そして、信心即生活が日蓮大聖人様の仏法であり、学会の指導です。あくまでも、信心強盛にして、その信心を源泉として、おのおのの職場、おのおのの仕事に全力をあげていく、そこに功徳をわかせていく、それが学会であります。
 また、その指導を全支部員の方々に徹底していっていただきたいと思います。「学会活動のための信心、学会活動のための学会活動」ではないのです。あくまでも、自分自身の功徳のための信心、生活革命をしていくための信心であり、指導なのです。
3  それから、二番目に申し上げたいことは、功徳を消していくいちばんのわざわいは、怨嫉であるということです。
 いくら朝晩の勤行をしても、信心をしていたとしても、学会人を、また御本尊様を批判したり、誹謗したりすると、功徳はなくなってしまいます。ですから、ほんとうかどうかためしたい人は、たくさん悪口をいってみれば、自分が苦しくなって、功徳は消えますから、体験を積んでいっていただければ、わかるのです。
 反対に、信心を純粋に、学会活動をまじめに自分自身の幸福のために戦っていく人は、人人を尊敬していく人は、自分自身が楽しいし、明るいし、感激の信心即生活がしていけるのです。
 また、第三番目には、私どもがこれから選挙戦にはいってまいりますが、いっさいこれは日蓮大聖人様のご金言どおりの活動であります。自信をもって、日蓮大聖人様の広宣流布へのご命令のうえにたった活動でありますから、この活動を、まじめに、真剣にやった私どもに、功徳がわかないわけは絶対にないという確信をもって、精進していきたいと思うのであります。
 日蓮大聖人様の仏法は、順逆ともに救われる仏法であり、その御本尊様であります。日蓮大聖人様を誹謗し、御本尊様に反対し、日蓮正宗創価学会に反対すれば、地獄に落ちることはとうぜんです。地獄に落ち、無量劫を過ぎてまた、日蓮大聖人様の弟子となって成仏すべし、このようにおおせの大仏法であります。
 反対した人でも、毒鼓の縁を結んで救われる仏法であります。いわんや、私どもは、朝な夕な、力のない私どもでありますけれども、おのおのの立場で、全力をあげて、広宣流布のために戦っている学会人であります。
 したがって、日蓮大聖人様が、三世十方の仏・菩薩が、諸天善神が、私どもを守らないわけは断じてないという確信で、励んでいこうではありませんか。
4  今度の選挙法の改正については、わが学会出身の議員は、ぜんぶ、真っ向から反対したのです。むずかしいことは知りませんが、原島議員さんいわく「なにしろ今度改正されると、全国区で五百万円から六百万円かかってしまう。こんなことでは、うちの議員さん方は、金がなくて、やっていけないよ」と。
 こういうことが反対の理由のひとつらしいのですが、事実、いままでは、二百万円かそこらの費用であったのが、六百万円台、そのたったひとつのすがただけをみても、公明選挙などというものを実行できるわけがありません。
 いままでも、その六百万円あるいは何千万円出して、買収などをしてきた議員も、ずいぶんいるのです。現在、こちらのほうから立った小平参議院議員さんは、皆さん方がおうちを知っているかどうかしりませんが、ご自身のおうちへ行きますと、それはそれは、もう質素な家です。
 私も同志として「議員になったのだから、なんとかもう少し、かっこうをつけたらどうですか」といったら「いや、もう忙しくて、まだまだ若いから、それどころではありません」と。私は自分が若いから、自分のほうはいいと思って、参議院議員さんこそ、少しぐらいかっこうつけなくては、かえって学会員の人が行ったときに、退転してしまうのではないかと心配でいったのです。また、渋谷さんの家は、まあ、ご存知の人もあるかもしれませんが、まだ間借りです。
 それが、わが学会出身の議員の家の現状です。まあ、「ポスターをはったり、それから、ハガキを出す費用ぐらいは、なんとかしなくてはならない」と思って、議員に立つ人たちはがんばっておりますけれども、そんな五百万も六百万も使うなどということは、法定の費用でありますけれども、みじんも考えておりません。
 ほんとうの公明選挙で、法定費用の何分の一、何十分の一で、自分の力で、あとは私どもが手弁当で、そして、その目的も広宣流布という、全民衆のためという大目的のために戦っていくのが、わが創価学会出身の議員の使命であり、自覚でありますから、私どもは、公明選挙の実行のためにも、全力をあげて、わが学会推薦の同志を応援していこうではありませんか。
 皆さん方のご健康と、ご健闘を心からお祈り申し上げまして、私のあいさつとさせていただきます。雨のなかを、ご苦労さまでした。

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