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日蓮大聖人・池田大作

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戸田先生一周忌を迎えて  

1959.3.20 「会長講演集」第4巻

前後
7  こうなってみて、あてがはずれたのは邪宗団である。会長先生なきあとの依然として変わらぬ学会の前進の姿に、ひとたびは驚嘆し、ふたたびは断末魔の悲鳴をあげた。全邪宗団が結束して、学会に敵対をはじめた。これが墓地問題である。裏には全日仏の策動もうかがわれ、学会では仏法のうえからも法律のうえからも、断固たる正義の鉄を加えてきたのであった。すでに判決として懲役四か月の刑をうけた坊主もあることは、三類の強敵を破ったおおいなる証明であろう。
 昭和三十四年元旦、黎明の年は静かに明けた。学会本部ではこの日、戸田先生の録音テープをうかがって、重大段階に対する決意を新たにした。(1)学会世帯百三十万(2)各支部会館の充実(3)全国十か寺の建立、政界へ有能な人材の推薦を目ざして、新年への前進は始まった。すでに支部会館は過半数が決定し、各地の市会へ送られる学会員の数も多い。
 戸田先生は『信心は日蓮大聖人様の時代に帰れ』と申された。信心の方程式は、もったいなくも大聖人様がお示しである。しかし、われわれの行動は日興上人が教えられている。遺誡置文のなかに『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事』とあるが『身命を賭して』のおおせを忘れてはならない。これを実践の移されたのが日目上人である。日目上人は七十四歳にいたるまで、国家諫暁を続けられ、粛然、エリを正さざるをえぬ最期を遂げられた。師命の実践に生き、実践に倒れたこの姿こそ、残された弟子の道であると信ずる。
 大聖人様の時代は法体の広宣流布、したがって信心一本で、今日のような組織はなかったものと思われる。しかし、いまは化儀の広宣流布、組織が要求される時代であって、学会の組織ほどりっぱにつくられているものはない。したがって、組織の上に立つものが『自己の信心がりっぱである』という錯覚が生ずるとき、学会の組織は動脈硬化する。ゆえに幹部がつねに師匠の教えを厳然と守り抜く信心、峻厳なる仏道修行の信心がなくてはならないと信ずる。
 われら遺弟一同は、一周忌を迎えるにあたって、名誉と確信をもち勇敢に前進していきたいものである。(当時、総務)

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