Nichiren・Ikeda
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『五丈原の歌』の大精神
登山会における指導
1957.10.12 「会長講演集」第3巻
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6 五番は学会精神です。
五、成否をたれかあげつらう
一死つくしし身の誠
仰げば銀河影冴えて
無数の星斗光濃し
照らすやいなや英雄の
苦心狐忠の胸ひとつ
其の壮烈に感じては
鬼神も哭かん秋の風
『成否をたれかあげつらう』詮ずるところ、諸葛孔明は、最後まで大勝利を得たとはいえない、五丈原で負けるから。成否、すなわち勝負というものは、結局はどうしようもない。それはひとつの成り行きにまかす以外にないのです。
しかし、『一死つくしし身の誠』全生命を蜀のために、また玄徳に尽くしきっていくだけである。
『仰げば銀河影えて』孔明の尽忠に対する賛嘆です。『無数の星斗光濃し』正義に殉じていくという、その境涯というものを、はっきりと、清らかにうつしている姿。真実の尽忠の姿を形容している。
『照らすやいなや英雄の、苦心狐忠の胸ひとつ』無数の星斗が、孔明を照らしているわけです。その英雄の苦心狐忠--自分が死んでしまったら蜀はない。だが、自分の病弱なからだは、どうすることもできない。
『其の壮烈に感じては鬼神も哭かん秋の風』最後まで蜀を守ろうとして、玄徳を守ろうとして、尽くしきってきた二十何年間のその壮烈に感じては、鬼神も哭くであろう。いまなくなっていくことを考えれば、寂しい一陣の風よ、秋の風。
だから、会長先生の弟子として、如来の使いとして邪宗と戦い、広宣流布のために一切衆生を救わんとしていく闘争も、これに通ずる。
『成否をたれかあげつらう一死つくしし身の誠』広宣流布ができる、できないということは、ぜんぶ仏勅であってわれわれの才では考えられない。ただひとすじに『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』です。自分自身のこの生命を今世に生まれた使命というものを、仏の使いとして全力を尽くしていく以外にない。会長先生のお姿をわれわれの姿に反映していく以外にない。
『仰げば銀河影冴えて無数の星斗光濃し、照らすやいなや英雄の』先生が御本尊様から照らされている姿です。
『苦心狐忠の胸ひとつ』会長先生の苦心狐忠――ここはいろいろありますね。日蓮正宗を守るのも、先生の一心であるし、全学会員を成仏の直道にきちっと指導してくださる先生の悩み、それから原子爆弾を落とさせないようにして、楽土日本を、楽土東洋を、仏国土の世界をつくろうとしていらっしゃる。あらゆる報道機関とか邪宗などの誹謗、悪口、それから弾圧をうけつつも、ただ日蓮大聖人様の仏法以外にほかに道はないとして戦っていらっしゃる先生のお姿こそが、苦心狐忠の胸ひとつである。
『其の壮烈に感じては鬼神も哭かん秋の風』
そんな、いまの政治家とか、偽善宗教家というものなどとは、くらべることのできない、全人類を思っている先生の闘争の慈悲というものは、鬼神も哭くであろう。
7 六番は、諸葛孔明の偉大さを、後世の人々が賛嘆した歌です。
六、嗚呼五丈原秋の夜半
あらしは叫び露は泣き
銀漢清く星高く
神秘の色につつまれて
天地かすかに光るとき
無量の思いもたらして
千載の末今も尚
名はかんばしき諸葛亮
魏の曹操とか、仲達という大英雄、いちおうは英雄、また、呉の孫堅とかいった群雄が、割拠して、力のある、優秀な英雄もたくさんおったけれども、諸葛孔明は、ただ力とか利害、策略や陰謀、野心でなくして、ただひとすじに蜀の国を思い、民衆を思った真実の英雄であるということをうたったのですよ、ここは。
霊友会とか立正佼成会とか、身延とか、あらゆる邪宗教というものは、人を不幸にし、悪道におとしいれ、金と陰謀だけの企業宗教は、ぜんぶ歴史上で批判され、日蓮正宗創価学会だけが千載に名を残していくだろう。大御本尊様が末法万年尽未来際までいらっしゃる限り創価学会の功績も、その名も続くであろう。
この五丈原の歌は、最初は私が好きだったのです。私がこの歌詞を持ってきたのです。そして、中西君(現理事、青年部参謀)が幼年学校で習ったことがあるというので、初めて先生におうたい申し上げて御披露したのです。
この五丈原の精神がわからなければ、戸田先生の御精神はわかりませんよ。師弟の相対ということはわかりませんよ。(当時、参謀室長)