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日蓮大聖人・池田大作

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『五丈原の歌』の大精神 登山会における指導

1957.10.12 「会長講演集」第3巻

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1  この歌は、作詩は土井晩翆先生です。そして、三国志に有名な諸葛孔明という人がでてきます。その人は、いまでいえば内閣総理大臣です。丞相とは総理のことをいうのです。
 三国志は蜀の国と魏の国と呉の国と、戦国時代であったが、最後に三つの国になったのです。いま日本の国も、自民党と社会党と、しいていえば政治団体ではありませんけれども、見方によれば、学会です。
 その諸葛孔明が、尽忠一路に蜀の国を思い、王さまの劉備玄徳を守りきってきた、その精神をうたったのです。
 そして、最後に、五丈原で『死せる孔明生ける仲達を走らす』といって、仲達の大軍と蜀軍とが向かい合ったのです。そのときに最後の最大のいくさに、この五丈原で劉備玄徳を守っておった諸葛孔明が死んだのですよ。その切実なる姿、それから、尽忠一路に王につかえる精神をうたったのが、この五丈原の歌なのです。
 一番は日蓮正宗の現状、運命なのです。いまでは、ずっとよくなってきましたがね、会長先生の御出現によって。大東亜戦争が終わってからの当分のあいだの日蓮正宗の姿が、ちょうどその蜀軍の姿だった。
  一、祁山悲秋の風更けて 
     陣雲暗し五丈原 
    零露の文は繁くして
     草枯れ馬は肥ゆれども
    蜀軍の旗光なく
     鼓角の音も今しずか 
    丞相病あつかりき 
     丞相病あつかりき
2  祁山というのは、五丈原のところにある山なのです。『祁山悲秋の風更けて』これは形容です。悲秋は悲しい。風更けて、風が吹き終わって。『陣雲暗し五丈原』蜀軍の陣雲ですね。陣は非常に暗い。なぜかならば、大参謀である諸葛孔明が死んだから。諸葛孔明が、いま死なんとしているのだというのです。というのは、日蓮正宗の運命が、お金もない、信者も少ない、大東亜戦争のときには、大弾圧を受けている。守る人はいないという姿でしょ。
 『零露の文は繁くして草枯れ馬は肥ゆれども』秋ですから。諸葛孔明が死んだのは十月二十三日です。ちょうど、その前に五丈原の陣営にあったわけです。『蜀軍の旗光なく』まさに攻められんとする格好です。日蓮正宗の姿もそうであったわけです。いままでは『日蓮正宗の旗光なし』ですよ。ぜんぶ、御僧侶は自分で耕して、謗法から一銭の供養も受けないで、大御本尊様を守ってきた姿です。戦争中は全日蓮宗が団結して弾圧しているのですから、蜀軍の旗光なしですよ。『鼓角の音も今しずか』孔明が死なんとしているから。鼓角の音というのですね、いまでいえば軍楽隊です。それも悲しいかな、非常に静かだ。皆静かだ。日蓮正宗も、大御本尊様ましますけれども、静かなのです。いまのように、発展と盛大なる姿というのは、なかったのですから。
 『丞相病あつかりき丞相病あつかりき』諸葛孔明がまさに死なんとしている。会長先生が、この歌に託して『日蓮正宗がまさにこの姿であった。玄徳に孔明が一貫してお仕えするように、日蓮正宗にただ生命がある限り尽くし、日蓮大聖人様の仏法をお守り申し上げる』という戸田先生の御精神を、この歌に託したのです。ですから、この五丈原の精神がわからなければ、戸田先生の御精神は、師弟の相対ということはわかりませんよ。
3  二番は、学会と、もったいなくも御本尊様との宿命的な問題なのです。要約すれば、会長先生の因縁のところなのです。
  二、夢寐に忘れぬ先王の 
     いまわの御こと畏みて
    心を焦がし身をつくす 
     暴露のつとめ幾とせか
    今落葉の雨の音
     大樹ひとたび倒れなば
    漢室の運はたいかに
     丞相病あつかりき
 『夢寐に忘れぬ先王の』孔明はあくまでも、先王というのは玄徳の系統ですね、家柄といいますか、その正しい直系であるということを忘れなかったという意味になるのです。会長先生は夢寐にも、少しも、日蓮大聖人様の御仏勅を忘れてはおらない。先王とは大聖人様です。
 『いまはの御こと畏みて』だから劉備玄徳の立場からとれば、諸葛孔明が先王のその直系を中心とすべきであるということに全力を尽くしたと同じように、会長先生が、大聖人様が広宣流布しなさいという御ことを畏みて『心を焦がし身をつくす』そうでしょう。先生がおひとりで組座談会に行かれたときもあるし、お山に対する忠誠、学会員をきちっと指導してしあわせにしようという大聖人様の御仏勅、ぜんぶ、会長先生は心を焦がし身を尽くしきって御本尊様のお使いとして、われわれのめんどうをみてくださっているのです。また日蓮正宗の興隆をみていらっしゃるのです。
 『暴露のつとめ幾とせか』あらゆる闘争は、幾とせか、何年間やってきたことか。われわれが二年や三年で『もう、こんなにやったから』なんていってはいけませんよ。
 『今落葉の雨の音』いまは雨がさんさんと降っている。その諸葛孔明の病気を形容しているのです。そうしてきたけれども、全宗教は反対し、三障四魔、三類の強敵は、ごう然とおそいかかってきている。これしか原子爆弾を中止させ、世界を平和にする道はないではないかという、このお姿です。
 『大樹ひとたび倒れなば』『漢室の運はたいかに』大樹、諸葛孔明が倒れてしまったならば、漢室、蜀の国はおしまいなのです。同じように、会長先生が倒れてしまったならば、日蓮正宗の運命は、どうなるであろうか。われわれ学会員の運命は、どうなるであろうかという意味になるのです。その会長先生の御意思を、きちっと受け継いで、会長先生を最後まで広宣流布の暁までお守り申しきっていくのが、わが男子青年部であると、私は思うのです。
4  三番は、宗教界の現状をうたっているのです。宗教界の葛藤の姿を意味しているのです。
  三、四海の波瀾収まらで 
     民は苦しみ天は泣き 
    いつかは見なん太平の 
     心のどけき春の夢
    群雄立ちてことごとく 
     中原鹿を争うも 
    たれか王者の師を学ぶ 
     丞相病あつかりき
 『四海の波瀾収まらで』蜀の国を中心にして諸葛孔明は、全中国を統一しようとする気持ちがあったけれども、魏の国があり、呉の国がある。その前は戦国時代で統一までもう一歩のところであったけれども、四海の波瀾はまだおさまっていない。同じく、大御本尊様が日本の国に七百年間ましますのに、全邪宗教はそれが分からない。認めない。信仰しない。そして誹謗している。
 『民は苦しみ天は泣き』諸葛孔明が天下を統一するならば、ぜんぶの民がしあわせになるのであるけれども、いま、現状をみれば、釈迦の予言、天台の予言、伝教大師の予言、そして末法の御本仏である日蓮大聖人様のおことばに従順であるならば、民は苦しまないのであるけれども、それをきかないから、みんな不幸ではないか、日本民衆しかり、東洋の民衆しかり、世界の民族はみんなおびえているではないか! というのです。
 『いつかは見なん太平の』諸葛孔明からみれば、自分が死んだら、いつ太平になるであろうか。同じように、いま、創価学会を中心にすれば、いつ邪宗教が従順し、全民衆が納得してしあわせになっていけるであろうか。
 『心のどけき春の夢』それが広宣流布の姿なのであるけれども、というのですよ。みんながしあわせになるのであるけれども、そうならない。まだ心のどけき春の夢だと。
 『群雄立ちてことごとく 中原鹿を争うも』正しい中心者を立てないで、自分が王者になろう、自分が権力者になろうとしているではないかと。諸葛孔明は、それを憂えたのです。同じように、いま末法において、大御本尊様がましますのに、霊友会、立正佼成会、仏立宗というふうに、群雄立ちてことごとく 中原鹿を争っている姿ではないかというのですよ。自分が教祖である、自分が生き仏である。自分が国を救えるのである。こういう邪道の姿をいうのです。
 『たれか王者の師を学ぶ』だれが、末法の仏さまである日蓮大聖人様のお説どおりに学んで実践するか。それは創価学会以外にないではないかというのです。もう一歩、私が会通を加えるならば、だれが今度は真実に会長先生の御指導を学んで、そのとおりやっていくものがあるか。それは青年部しかないと、私はいいたいのですよ。
5  四番は、会長先生が、どうしても広宣流布を成し遂げていかなければならない、会長にならねばならなかったという因縁をあらわしている歌詞です。
  四、嗚呼南陽の旧草盧
     二十余年のいにしえの
    夢はたいかに安かりし 
     光を包み香をかくし 
    隴畝ろうほに民と交われば
     王佐の才に富める身も
    唯一曲の梁父吟
     丞相病あつかりき
 『嗚呼南陽の旧草盧二十余年のいにしえの』諸葛孔明の立場からとるならば、南陽とは孔明が思索し勉強しておったところ。旧草盧とは、そまつなあばらや。ただ、まごころこめて劉備玄徳に仕えてきたが、その二十余年をふりかえってみるならば、なにも苦労することなく天下太平な気持ちであった。
 『光を包み香をかくし』自分のりっぱな人格、また人生観、国家観、そういう才能をかくして、少しも外に出ていない。
 『隴畝に民と交われば』したがって、自分がたんぼで、一般の農夫などと交わっておれば、とても楽だった。
 『王佐の才に富める身も』一国を指導すべき国王を補佐していくべき才に富んでいるのだが。ここは、自分の過去をふりかえっているところです。
 『唯一曲の梁父吟』なにも考えないですごせるような自分であったけれども、いまは蜀をぜんぶ率いて大激戦をしていかなければならない立場になった。
 この歌を、会長先生のお立場から拝するならば、戸田先生は牧口先生が会長に在職していらした当時、二十何年間か理事長で、自分は会長になりたくない、事業でもやって人生を暮らしたいというふうに願っておった。その証拠としては、終戦後も六年のあいだ、会長の職につかないで、だれかりっぱな会長をたてたいと念願しておった。
 しかし、結局は、学会員全員の要望、それに日蓮大聖人様の御仏勅を感じて、どうしても御自分が立たねばならないという宿命を感じられて、会長になった。そして、人類救済の地涌の菩薩の大棟梁として、戦っておられるのである。
 これと思い合わせれば、孔明が自分には王佐の才があるけれども、自分から偉くなろうと思ったり、野心をもったりはしなかった。しかし、劉備玄徳の三顧の礼によって、どうしても立たねばならい運命になった。同じく会長先生は、自分はどうしても会長になりたくない、ただ一介の事業家として、また、一介の理事長としていこうと思ったけれども、人類救済のため、仏勅を受けて立たねばならないという運命にあったのです。
6  五番は学会精神です。
  五、成否をたれかあげつらう 
     一死つくしし身の誠 
    仰げば銀河影冴えて
     無数の星斗光濃し 
    照らすやいなや英雄の
     苦心狐忠の胸ひとつ 
    其の壮烈に感じては
     鬼神も哭かん秋の風 
 『成否をたれかあげつらう』詮ずるところ、諸葛孔明は、最後まで大勝利を得たとはいえない、五丈原で負けるから。成否、すなわち勝負というものは、結局はどうしようもない。それはひとつの成り行きにまかす以外にないのです。
 しかし、『一死つくしし身の誠』全生命を蜀のために、また玄徳に尽くしきっていくだけである。
 『仰げば銀河影えて』孔明の尽忠に対する賛嘆です。『無数の星斗光濃し』正義に殉じていくという、その境涯というものを、はっきりと、清らかにうつしている姿。真実の尽忠の姿を形容している。
 『照らすやいなや英雄の、苦心狐忠の胸ひとつ』無数の星斗が、孔明を照らしているわけです。その英雄の苦心狐忠--自分が死んでしまったら蜀はない。だが、自分の病弱なからだは、どうすることもできない。
 『其の壮烈に感じては鬼神も哭かん秋の風』最後まで蜀を守ろうとして、玄徳を守ろうとして、尽くしきってきた二十何年間のその壮烈に感じては、鬼神も哭くであろう。いまなくなっていくことを考えれば、寂しい一陣の風よ、秋の風。
 だから、会長先生の弟子として、如来の使いとして邪宗と戦い、広宣流布のために一切衆生を救わんとしていく闘争も、これに通ずる。
 『成否をたれかあげつらう一死つくしし身の誠』広宣流布ができる、できないということは、ぜんぶ仏勅であってわれわれの才では考えられない。ただひとすじに『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』です。自分自身のこの生命を今世に生まれた使命というものを、仏の使いとして全力を尽くしていく以外にない。会長先生のお姿をわれわれの姿に反映していく以外にない。
 『仰げば銀河影冴えて無数の星斗光濃し、照らすやいなや英雄の』先生が御本尊様から照らされている姿です。
 『苦心狐忠の胸ひとつ』会長先生の苦心狐忠――ここはいろいろありますね。日蓮正宗を守るのも、先生の一心であるし、全学会員を成仏の直道にきちっと指導してくださる先生の悩み、それから原子爆弾を落とさせないようにして、楽土日本を、楽土東洋を、仏国土の世界をつくろうとしていらっしゃる。あらゆる報道機関とか邪宗などの誹謗、悪口、それから弾圧をうけつつも、ただ日蓮大聖人様の仏法以外にほかに道はないとして戦っていらっしゃる先生のお姿こそが、苦心狐忠の胸ひとつである。
 『其の壮烈に感じては鬼神も哭かん秋の風』 
 そんな、いまの政治家とか、偽善宗教家というものなどとは、くらべることのできない、全人類を思っている先生の闘争の慈悲というものは、鬼神も哭くであろう。
7  六番は、諸葛孔明の偉大さを、後世の人々が賛嘆した歌です。
  六、嗚呼五丈原秋の夜半 
     あらしは叫び露は泣き
    銀漢清く星高く
     神秘の色につつまれて
    天地かすかに光るとき 
     無量の思いもたらして
    千載の末今も尚
     名はかんばしき諸葛亮
 魏の曹操とか、仲達という大英雄、いちおうは英雄、また、呉の孫堅とかいった群雄が、割拠して、力のある、優秀な英雄もたくさんおったけれども、諸葛孔明は、ただ力とか利害、策略や陰謀、野心でなくして、ただひとすじに蜀の国を思い、民衆を思った真実の英雄であるということをうたったのですよ、ここは。
 霊友会とか立正佼成会とか、身延とか、あらゆる邪宗教というものは、人を不幸にし、悪道におとしいれ、金と陰謀だけの企業宗教は、ぜんぶ歴史上で批判され、日蓮正宗創価学会だけが千載に名を残していくだろう。大御本尊様が末法万年尽未来際までいらっしゃる限り創価学会の功績も、その名も続くであろう。
 この五丈原の歌は、最初は私が好きだったのです。私がこの歌詞を持ってきたのです。そして、中西君(現理事、青年部参謀)が幼年学校で習ったことがあるというので、初めて先生におうたい申し上げて御披露したのです。
 この五丈原の精神がわからなければ、戸田先生の御精神はわかりませんよ。師弟の相対ということはわかりませんよ。(当時、参謀室長)

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