Nichiren・Ikeda
Search & Study
文京合同幹部会
上根・中根・下根
1960.6.21 「会長講演集」第1巻
前後
4 また、私どもは、いちばん三障四魔にあい、三類の強敵にあい、強く、自分自身にいましめていかねばならないことは、御本尊様を放してはならない、題目さえ唱えきっていけば、必ず春がくるのだ、幸福になれるのだという、その一念なのです。『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』というのは、暴力で強く戦えとか、人々を圧迫し、圧力を与えるようなことばで指導しろとか、折伏しろとか、そういう意味ではないのです。御本尊様を拝む、御本尊様を持つ、その一念の臆病がいけないのだという意味なのですね。もしか、難があり、三障四魔があったときに、どんな強そうなかっこうをしても、肝心かなめの、その御本尊様を慕う一念がなくなってしまったならば、強いかっこうなどというのは形式なのです。一番、その人は弱い人なのです、実際は。臆病者なのです。
そのことについて、大聖人様は、『今世は大御本尊様を捨てる、信心をやめることができても、その臆病の心は、永遠につながる。タカにあえるキジ、ヘビにあえるカエルを他人のことと思うことなかれとおおせです。いずれの時代にきても、やはりいじめられ、圧迫され、苦しんでいく、その三世の生命観なのです。ですから、御本尊様を捨てる、離れることは絶対にやめて、これだけは、最後の最後まで、一生涯、強い心をもって持ちきると、こういう信心でいこうではありませんか。
なにとぞ、きょうお見えにならなかった文京の同志の方々に、くれぐれもよろしくお伝え願いたいことを申し上げて、私の話といたします。