Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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文京合同幹部会 上根・中根・下根

1960.6.21 「会長講演集」第1巻

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3  今世に御本尊様を受けて成仏しなければ、来世も辞難世も、成仏するまでは、御本尊様を拝み、折伏をしきり、勉強しきっていかねばならないよ少な宿命になってしまうのです。なるべく今世で、一生成仏の南無妙法蓮華経ですから、今世で早く卒業をしたほうが、トクだと思うのです。
 ここで申し上げたいことは、上根でも、中根でも、下根でも、大御本尊様の偉大なる御慈悲に浴するならば、最後はみな仏になれる、功徳をうける、こういう大聖人様のおおせでございますから、いままで、いろいろな、上根の人も、中根の人も、下根の人もあったと思うのです。
 なにも、批判しようが、退転しようが、べつに私どもは、損得はないのです。自由です。しかし、それではかわいそうだと思いますし、大御本尊様は非常にそういう人に対しても、なんとか、題目三遍唱えても、福運を与えてあげたい、永遠に御本尊様を放さないようにしてあげたい、その大慈悲をこめていらっしゃるわけです。
 そういう意味において、私は、どんなことがあっても、どういう事態に立ちいたっても、どういう境遇にはいっても、御本尊様と離れない、御本尊様にすがりきっていけば、御本尊様を忘れなければ、最後は仏になれる仏法でありますから、御本尊様とは離れないという自覚に立っていただきたいのでございます。
 指導する場合においても、この三つの上・中。下枝の原理を忘れないで、信心を、その人が今、退転しそうになったから、その人が折伏しないから、だからあなたはダメなのだとして御本尊様を返させるような行き方がこわいのです。御本尊様さえ持っておれば、今申し上げたごとくに、仏になれるし、必ず最後には目ざめてくる。私どもも、それを自覚し、指導する場合にも、その方程式を忘れないように、大御本尊様の大功徳につつまれて、激励しあって、がんばっていきましょうね。
4  また、私どもは、いちばん三障四魔にあい、三類の強敵にあい、強く、自分自身にいましめていかねばならないことは、御本尊様を放してはならない、題目さえ唱えきっていけば、必ず春がくるのだ、幸福になれるのだという、その一念なのです。『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』というのは、暴力で強く戦えとか、人々を圧迫し、圧力を与えるようなことばで指導しろとか、折伏しろとか、そういう意味ではないのです。御本尊様を拝む、御本尊様を持つ、その一念の臆病がいけないのだという意味なのですね。もしか、難があり、三障四魔があったときに、どんな強そうなかっこうをしても、肝心かなめの、その御本尊様を慕う一念がなくなってしまったならば、強いかっこうなどというのは形式なのです。一番、その人は弱い人なのです、実際は。臆病者なのです。
 そのことについて、大聖人様は、『今世は大御本尊様を捨てる、信心をやめることができても、その臆病の心は、永遠につながる。タカにあえるキジ、ヘビにあえるカエルを他人のことと思うことなかれとおおせです。いずれの時代にきても、やはりいじめられ、圧迫され、苦しんでいく、その三世の生命観なのです。ですから、御本尊様を捨てる、離れることは絶対にやめて、これだけは、最後の最後まで、一生涯、強い心をもって持ちきると、こういう信心でいこうではありませんか。
 なにとぞ、きょうお見えにならなかった文京の同志の方々に、くれぐれもよろしくお伝え願いたいことを申し上げて、私の話といたします。

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