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日蓮大聖人・池田大作

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“バルナ文明”  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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12  池田 すでに論じあったように、シメオンの父ボリス一世は、ブルガリアをキリスト教国としています。布教とブルガリア教会の独立性を、明確に示すという両方の仕事を行っています。シメオン皇帝は、八九三年に、典礼にスラブ語を用いるように命じました。これは、異教からキリスト教文化へと変容するのに不可欠なことでした。スラブ語は民衆の間で用いられていた言葉であり、ギリシャ語は国家的な問題だけに用いられていたのです。
 ジュロヴァ そのとおりです。当時、キリスト教的な黄金の比喩は、原ブルガリア人の異教における銅の比喩と対照的でした。原ブルガリア人の神話では、銅製の「脱穀場」、すなわち聖堂はハン(王)の権力と国家の権威を表していました。
 最初のブルガリア教会は異教寺院の遺跡の上に建てられたのです。シメオン皇帝は、すでにあった異教寺院とは異なる「新しい黄金の教会」を建築することを命じたのです。
 池田 また、ボリス一世は、聖典のスラブ語訳を進め、キュリロスが創作したグラゴール文字と呼ばれるスラブ語用の文字とスラブ語の聖典を広めましたね。このグラゴール文字をもとに、キリル文字がブルガリアでつくられました。
 ジュロヴァ 『哲人キュリロスへの賛辞』の中に次のようにあります。「彼の祝福された指は、“霊的な書物”をつくり出し、黄金に輝く文字でそれを強化した」と。ここでは、“黄金の光”という概念が、スラブ文字の創案と同一視されているのです。
 池田 キリスト教徒にとっては、民衆教化のための文字は、まさに人々に救済をもたらす、希望に満ちた“黄金の光”ととらえられたのでしょう。また、それは民衆にとって、文字という文明の光をもたらすものでもありました。
 ジュロヴァ また、中世ブルガリア写本の中に次のようにあります。「ブルガリア皇帝シメオンは、多くの書物を著した。そしてダビデ王のように、黄金の弦楽器(竪琴)を演奏した」と。
 九世紀および十世紀のブルガリア文化においては、黄金は「文明開化」と国家の権力を象徴していたのです。また古代においても、現代においても、高度な文化が達成された時代が「黄金時代」と呼ばれています。これはキリスト教の天国の概念の反映なのです。
13  池田 ブルガリアでは、古代から現代にいたるまで、キリスト教の理念を反映して、黄金は完全無欠、絶対的善の表象となってきたということですね。
 仏教においても『法華経』では、究極の理想は、すべてを包含し活用していく円満さをそなえていると説きます。すでに第一章で述べたように、天台は「十界互具」の法理として展開しました。そして、その豊かな内実を縁にふれてさまざまに開き表し、現実を豊かにいろどっていくと説きます。みがかれた金は、黄金の輝きを放ちながらも、光の当たり具合で虹色の豊かさを見せます。それと同じです。
 ジュロヴァ 先生は、仏教において黄金が、人間の内面的価値を象徴することをくわしく語ってくださいました。私たちブルガリアの伝統にも同じ考え方がありました。しかし現在では、黄金は、物質的富のシンボルとなっています。
 池田 現代日本においても黄金は、ほとんど物質的富のみのシンボルになっている点は同じです。
 しかし“永遠なるもの”に目を向け、“内なる黄金”をみがき、“真金の人”をめざすところにこそ、真の“黄金時代”が築かれるのではないでしょうか。

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