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日蓮大聖人・池田大作

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日本における儒教・道教とキリスト教  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

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9  ジュロヴァ かつて私が、日本ではどのような階層の人々が仏教、禅宗、神道、儒教を実践しているのかとたずねた時、何人かが次のように答えました。それは、日本人は神道の祖先崇拝を支持する以外にも、家庭や自然の近くにあっては道教徒や神道の氏子であり、労働の場では儒教徒であると。こうした考え方について、先生のご意見をおうかがいしたいと思います。
 池田 数年前、世界三十七カ国を対象にした宗教意識についての調査が報告されていました。(「37カ国『世界価値観調査』レポート」電通総研、余暇開発センター)
 その調査によると、「生活にとっての宗教の重要度」を問う質問に対し、「非常に重要」「かなり重要」と答えた回答は、日本は調査国中、中国に次いで二番目に低いものでした。しかし、宗教的行動を問う質問に対する回答で、非常に奇異だったのは、「しばしば祈る」と答えた人は当然少なかったのですが、「困った時だけ祈る」と答えた人は、調査国中最高だったのです。
 報告は、「宗教的自覚は低く」、しかし「『神だのみ』はしばしばするという、わが国独特の神観念が浮き彫りになった」と分析していました。
 日本にはどこの都市にも、結婚式専門の教会があります。結婚式は教会で、葬式は仏式、初詣では神社、という風潮が日本では一般的です。また、ほとんどの週刊誌に、占星術のページがあります。クリスマスとバレンタイン・デーには、街中がプレゼントの商品であふれます
 。しかし、その日が何の日であるのかは、ほとんど忘れ去られている状態なのです。
 なぜ、このような状態になったのか。ある研究者たちは、日本人には自然信仰が根強く、豊穣を祈願し、共同体の繁栄を願う祭式中心的な宗教観が、いまだに生き続けているために、教義等への関心が少ない、と指摘しています。また、自然信仰が強いため、キリストやムハンマド、釈尊など、創始者が存在する宗教のイメージがピンとこない、と指摘する人もいます。しかし、とくに、江戸時代に行われた宗教政策による影響が大きいことは、疑問の余地のないところです。
 先に博士も指摘されたように、徳川幕府はキリスト教を徹底的に弾圧しました。そのために、さまざまな悲劇が日本各地で起こりました。
 その弾圧のための宗教政策が、「檀家制度」と言われるものです。キリスト教徒を絶滅させるために、寺とその周辺地域の人々とに契約を結ばせたのです。それまでは、人々は自分の信じている宗教を実践することができました。遠くはなれた寺に、信頼できる僧侶がいるならば、その僧侶のもとに人々は集うことができたのです。幕府はそれをきらいました。信仰の自由を認めていると、だれがどの宗教を信じているかがつかめず、一人一人を管理できないからです。
 この「檀家制度」によって、事態は根本的に変わってしまいました。全員が地元の寺院に強制的に所属することになったのです。
 キリスト教徒であるかどうかの判定権は寺院側にありました。まさに、「村落における寺の住職が果した役割は、まさに幕藩領主の下級役人的役割であり、民衆の人身支配の最前線に立ったところに、『近世的』檀家制度の本質がある」(圭室文雄『日本仏教史―近世』吉川弘文館)と言えます。
 地域の人々がキリシタンでないことを領主に提出するのは、寺の役割でした。寺によるキリシタンでないことの保証を「寺請」と言います。一六三〇年代の中ごろに、全国でこの「寺請」は実施されました。つまり、人はたとえ地元の寺の宗教を信じていなくても、その寺の信徒になり「寺請証文」を書いてもらわなければ、キリシタンとされてしまうことになるのです。この証文は「戸籍」の役割を果たすことにもなり、寺請をしてもらわなければ、人としての生きる権利を失うのです。あえて言えば、この時、日本から「信」がなくなってしまったのです。
 ある意味で、布教は宗教の生命線です。布教によって、民衆の赤裸々な悩みや苦しみとふれることができます。布教こそが、宗教を開かれたものにしていくことができます。
 しかし、幕府によって布教は固く禁止されてしまいました。
 「町中にて諸出家とも法談説候儀、無用につかまつるべき事」(『町掟』)寺を出て布教することは、このように幕府によって禁止されていました。同じ命令では、集会も禁止しています。幕府はただ葬祭儀礼のみを、所属する地元の寺院で行うことだけを、日本で許される宗教の形としたのです。
 先祖の年忌に所属寺院の僧侶に法要を依頼しない者、先祖の法要に寺院に参詣しない者を、キリシタンとして報告する、というような内容の文書が、徳川幕府の創始者の徳川家康の名で出されました。
 当時は寺院の中に民衆に読み書きを教える施設がありましたので、この文書が、書き方の手本、音読の教科書として用いられて、日本中の人々が幼いころから、そのような信仰の形を「常識」としてたたきこまれたのです。
 葬儀や年忌の儀礼によって強化されたのは、寺院への従属意識だけではありませんでした。葬祭儀礼によって、人は先祖に対する意識をより強くしていきます。徳川幕府の民衆支配政策として、「家系」による集団の系列化が言われています。
 近世以前は複合的大家族集団が、日本の民衆の集団のふつうの形でした。そこには、姓を同じにする濃い血縁関係だけではなく、姓の異なるうすい血縁関係や友人たちも、一つの集団としてまとまりを見せていたのです。
 幕府は、人々の団結をおそれ、単婚小家族を支配の単位としました。そして、同じ姓、つまり家父長――長男という系統を極端に重視しました。先祖崇拝は、儒教の中心概念でした。
 江戸時代に儒学が幕府の公認の学問になったこともあり、先祖崇拝の意識は民衆の間に浸透していき、「家系」重視と先祖崇拝がたがいに影響しあいながら、葬式、年忌により民衆を草の根レベルで支配するという幕府の政策は、驚くべき執拗さで日本の人々に浸透していったのです。
 非常に残念なことに、現在の日本では、自分の信じている宗教の教えを学んだり、他者に語ることなどは、それこそ“異端”のように考えられてしまいます。
 日本の多くの人は、自分の所属する宗派の名は知っています。しかし、その宗派の教義を知っているかどうかを問うと、まず、ほとんどの人が知らない、と答えるでしょう。
 数年前、日本国内で行われた別の宗教意識調査でも、僧侶をたずねる理由は、「法要のお願い」七五・三%、「仏教の教えを聞く」九・五%、所属する宗派の本尊を、「知っている」一八・三%、「知らない」七六・〇%でした。残念なことに、まだ、江戸時代の檀家制度の傷跡がいやされてはいないのです。
10  ジュロヴァ なるほど。これまでの展開を受けて、宗教と深い関係にある倫理、道徳についてうかがいたいと思います。ブルガリアで“良心”を話題にするように、日本でもそれを話題にするのでしょうか。
 ヘーゲルは次のように述べていますが、私としては、教育の過程において東洋人と西洋人に徐々に染みこんでいった思考方法の違いを示すものであり、“公平な見方”であるとは思えません。
 彼は、「東洋では、生命は誕生するが、個としての主体が存在しない。というのも、一般に見受けられる態度……良心と道徳が存在しない……その結果、東洋人の思想は、哲学の歴史からは除外視すべきである」と述べているのです。
 この言葉に反映しているヘーゲルの見解に対して、先生のご意見はいかがでしょうか。
 池田 今のヘーゲルの言葉は、「オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式なのである」(板垣雄三・杉田英明監修『オリエンタリズム』今沢紀子訳、平凡社)と言うE・W・サイードの批判の対象となるでしょう。
 「東洋(オリエント)」と言っても、インド、中国、朝鮮半島、東南アジアなど、さまざまです。また、「東洋の宗教」と言っても、仏教、儒教、道教では、かなりその様相が違います。
 さらに、同じ仏教と言っても、地域によって、また時代によって、かなり変化した部分もありますし、変化を受けなかった部分もあります。その変化の諸相を丹念に見なければなりません。博士が指摘されたように、そのヘーゲルの言葉は「公正さを欠く」ものです。
 その上で、日本における倫理と道徳の問題を歴史的に概観しますと、「共同体倫理」の発達のわりには、「自立的な倫理」「主体的な良心」の成立が不十分であったことがよく指摘されます。
 また、個の自立を図るような信仰形態が未成熟だ、と言われております。日本古来の宗教――「神道」も、これまで述べてきましたように、水田耕作における共同作業と豊作を祈ったり、共通の祖先を祭ることによって「共同体」意識を形成しゆく農耕儀礼中心の宗教でした。
 単純な類型化は避けねばなりませんが、キリスト教的な態度と比較するならば、キリスト教的な倫理は、唯一の神の前での倫理です。一人一人が、神に対して誓う倫理です。この場合、世俗共同体的な道徳をこえることができます。私たちがキリスト教の歴史において、世俗的権力に抵抗することができた「自立した良心の人」を見ることができるのは、このためであると考えております。
 「仏教の倫理」についてはどうか。これについても単純な類型化は避けなければなりませんが、あえて言うならば、仏教の倫理は、外なる神のもとでの倫理ではなく、内面からの倫理です。“内なる仏性”をみがく倫理です。その倫理性は、具体的には、「不殺生」「不妄語」などの戒律の形をとっております。
 しかし、キリスト教の戒律が、“神との契約”によって成立するのに対して、仏教の戒律は、生命に内在する煩悩や悪心との対決によって可能になります。つまり生命の“内なる仏性”を開発することによって、嗔恚、貪欲、愚癡――これを“三毒”と言います――を制御し、慈悲や知恵、意志力に変えていくのです。
 たとえば、嗔恚が慈悲心に転換するところに、あらゆる生命の尊厳を守る“不殺生戒”が実行されることになります。仏道修行は、煩悩を善心(菩提)へと転換していくための実践なのです。まさしく、それは、「自立的な良心」をみがく道徳・倫理の形成と言えましょう。
 しかし、残念なことに、この仏教の倫理は、日本に入ってきて、かなり磨滅し変質していきました。農耕儀礼や先祖崇拝の儀礼が混入してきたのです。とくに、何度も言うようですが、江戸時代、多くの人々は自分が本来、所属していた宗派との関係を絶たれたのです。そして人々は、政治権力によって地域の寺院や神社に帰属することを強制され、日本的な「共同体」儀礼の海に沈んでいったのです。

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