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日蓮大聖人・池田大作

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ブルガリアにおけるキリスト教の受容  

「美しき獅子の魂」アクシニア・D・ジュロヴァ(池田大作全集第109巻)

前後
9  池田 ブルガリアにおける民族復興期にいたるまでの、東方正教会の受容の仕方についてうかがってきました。少し話は前に戻りますが、キリスト教以前からの民族信仰は、人々のアイデンティティーとして心の中に深く根ざしていたようですね。ブルガリア民族のなかで、異教信仰は、どのような形でキリスト教と共存してきたのでしょうか。
 ジュロヴァ つい最近まで、民衆は異教的なシンクレティズム(混淆主義)を保っていました。つまり、ヘーロース(半神)と聖ゲオルゲ、大母神と聖母マリアの関係を保持し、その部族の創始者や部族の守護者たちへの崇拝を保持していたのです。
 それは、ブルガリアで冬にそなえて秋にピクルス(西洋風の漬物)を漬ける準備をする習慣にも、明らかに表れています。その習慣は、キリスト教に公式に改宗する以前のブルガリア国家の、最初の二百年間にまで遡るものです。その二百年間に行われていた“異教”である原ブルガリア人とスラブ人の宗教は、多くの点でキリスト教の生活様式と共通するものがあり、土着の人々がそれらをキリスト教的な生活様式へと順応させたのです。
10  池田 つまり、異教的な宗教の土台の上に、政治的な手段としてキリスト教が用いられた。政治的な必要が少なくなると、キリスト教への要請は少なくなるのですね。しかし、異教的宗教の本質はその影響を受けなかった、ということですね。
 ジュロヴァ そのとおりです。これまで、ブルガリアにおける東方正教会の特性について、きわめて簡単に示しましたが、こうした特性は、個人の解放の道を開いた卓越した人物になぜ聖職者が多いのかを説明します。文明の発展の道をさし示した彼らは、革命家であり、使徒であり、作家であり、公人だったのです。これは、他のスラブ諸国にとっても特徴的なことです。ブルガリアの教会もまた、わが国民の歴史的運命が定めた使命である人間の変革において、同様の役割を果たしたのでした。

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