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日蓮大聖人・池田大作

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2 健康と病気  

「健康と人生」ルネ・シマー/ギー・ブルジョ(池田大作全集第107巻)

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1  「健病不二」と「内なる治癒力」
 池田 博士のおっしゃるとおりです。
 ところで、今まで、博士ご自身は病気をされたことはありますか。
 ブルジョ 私自身はありません。しかし、若いころに兄の大病を間接的に体験しました。私が四歳のときで、兄は九歳でした。田舎のほうに行って、生の牛乳を飲んだのです。私がまず発熱し、数日後に兄も熱を出しました。当時、小児マヒが流行していました。それで、もしかして、小児マヒにかかっているのではないかと、医師を呼びました。私は熱がひきましたが、兄のほうは、熱がどんどん上がっていきました。実際に、小児マヒだったのです。
 兄は、五年間の入院生活を強いられました。そして、五十五歳で亡くなるまで、松葉杖で歩かなければならなくなったのです。
 池田 昔は、小児マヒのワクチンも普及していなかったですから……。博士は、お兄さまとともに、“病苦”を体験されたのですね。
 ブルジョ 長い間、私は罪悪感を感じていました。もしかして、私が兄に感染させたのではないかと。たとえば、私には対抗するだけの体力があったのに対して、兄にはなかった。だから、もしかして、兄に感染させたのではないかと。
 池田 どのようにして、その罪悪感を克服されたのですか。
 ブルジョ 私の健康は、本当にすばらしい贈り物だというふうに感謝しています。兄がそういう健康を噛みしめることができなかったことで、私は人々の人生の手助けをするという責任感を感じるようになったのです。
 今は兄に悪いことをしたという罪悪感はありませんが、もっと一般的な意味で、彼のように苦しんでいる人に対して、私は責任を感じます。
 池田 博士のお話を聞いていて、仏典に説かれる、ある有名な話を思い出します。
 維摩詰という大乗の菩薩の話です。この菩薩は、自分は健康なのですが、衆生の病気に同苦して、みずから病気の姿を見せるという話です。仏典では、釈尊が維摩詰の病気見舞いに行くように勧めるのですが、舎利弗と阿難という声聞は尻込みして、行こうとしません。とうとう菩薩の代表である文殊菩薩が、維摩詰の病室を訪れるのです。二乗も他の菩薩もついていく。そこで、文殊と維摩詰の“病気問答”が開始されるのです。
 文殊――「あなたの病気は何ですか」
 維摩詰――「衆生が病んでいるから、私も病むのです」「衆生の病気が癒されれば、私の病気も治ります」
 衆生の一切の病苦を引き受ける大いなる“責任感”のゆえに、みずからも病むという意味です。博士の“責任感”は、まさに、仏法の慈悲に通じています。
 仏法では、「健病不二」と表現しています。自己と他者の病苦との闘いのまっただなかに、人間としての輝く健康体を創出していこうとするのです。
 ブルジョ 池田会長が「健病不二」という表現を用いられて、両者の不可分性を指摘されたことに同感です。
 池田 近年、分子生物学やバイオテクノロジーの分野における進歩はめざましいものがあります。さまざまな物質が発見され、さらに人工的にも多くの合成物質がつくり出されるようになりました。そのなかの多くの物質が、病気の治療などに応用され、すばらしい成果をあげております。
 その成果について興味深いのは、インスリン(膵臓から発せられるホルモン、糖尿病の治療などに用いられる)やモルヒネ(麻酔などに使われる薬)といったこれらの物質は、本来、私たちの身体の中にあって、しぜんのうちに病気を予防しているという事実です。つまり、これらの物質は、健全なる身体が本来、十分に有する「自然の妙薬」であるとも表現できましょう。
 ブルジョ 宇宙や生命がそなえている力は、まさに想像を超えたものです。その能力は“奇蹟”としか言いようがありません。
 その宇宙の運行を私は「ゲーム」と呼びますが、これもプラス面だけで成り立っているものではありません。破局も欠かせないのです。火山の噴火、台風、津波などの被害などがその例です。
 池田 たしかに、生命には、表層的にはマイナスの側面もそなえています。
 ブルジョ 人間の中にみずからを再活性化させる治癒力があることを指摘するのであれば、逆に破壊する力があることも言わなければなりません。インスリンの過多、不足といった事例はその一つでしょう。自然の偉大さを認知するとともに、その不足分も、いかにして補足するのか、その軌道修正をするためにも、「ゲーム」のルールをどのように扱っていくべきかを知っておく必要があるのです。
 池田 そうですね。過多になれば副作用が生じます。逆に不足していては、症状を好転させることはできません。
 また、人間を外敵から守るべき免疫系の働きが過度に反応してしまうことによって、身体に異常をきたすようになる「自己免疫性疾患」も問題になっています。バセドー病、重症筋無力症など「難病」に指定される病気の多くが、自己免疫病とされています。
 私たちは、生命自身のもっている働き、物質についてまだまだ知らないことが多いのはたしかです。そのため、何が過多なのか、何が不足なのかについても、一断面だけではなく、生命の多様な側面から見ていかなければならないでしょう。
 生命のもつ本来の治癒力をどのように発揮させていくかについての“ルール”を、さらに解明することが大切ですね。
 ブルジョ 人間の内なる治癒力を応用した治療や投薬は効果がある一方で、副作用があることも事実です。有機体としての人体の内部で起きている複雑きわまる相互作用と、外部環境と人間との相互作用には、私たちの推量を超えるものがあります。生体臨床医学に、人間の内なる治癒力を応用する手法を持ち込むことには、ある程度のリスクをともないます。
 ただ、「自然」と「作為」との間に、新しい形の均衡と関係性をつくり出そうとする研究が試みられており、その将来性にはかなり期待がもてます。たとえば、現在、人間がつくりだすインスリンの体内生産量のテンポが遅い場合、インスリンの注射を打って、有機体外でインスリンを増殖させることができるようになっています。このような進歩は、会長がおっしゃる、人間の内なる治癒力を生かしたものといえましょう。
2  良い行為には必ず良い報いが
 池田 それに付随して、栄養について、質問をさせていただきます。
 ズバリ、頭のよくなる食べ物というのはありますか(笑い)。かつて、現代化学の父であり、ビタミンCの研究でも有名なアメリカのポーリング博士に、「頭のよくなる薬はありますか」と、うかがったところ、困った顔をされたことがあります(笑い)。学問的に「こうだ」という結論でなく、示唆でけっこうです。
 ブルジョ いや、私は栄養士ではありませんから、何ともお答えのしようもありませんが、私の妻はその方面の専門家です。その妻から以前に、子どもが朝食をとらないと、学校での勉強や活動が十分にできないと聞いたことがあります。ですから二十年前、モントリオールでは、「子どもが朝食をとれるようにする」ための対策がありました。
 池田 教育者のフレーベルは『人間の教育』の中で「食料や食品によって、子どもは、怠惰にも、勤勉にも、因循にも、快活にも、遅鈍にも、敏活にも、無力にも、旺盛にも、なりうる」(荒井武訳、岩波文庫)と言っています。
 ところが、日本では、朝食をとらない子ども、朝食をとれない子どもがふえていると言います。
 ブルジョ 脳細胞への栄養が不足すると、脳細胞が永久に破壊されてしまうことはわかっています。
 このように、知性と食物についてのマイナスの関係性は証明されているのですが、私の知るかぎり、プラスの関係性は立証されていません。
 池田 脳科学や栄養学の実証的な研究が待たれるところですね。
 ところで、博士自身が実践しておられる健康法はありますか。
 ブルジョ 高校時代に、スポーツを一切やらないで、本ばかり読んでいたので、教師から言われたのは、「気をつけろ。木曜日までに死ぬぞ」と。(笑い)
 その私も、もう六十歳を過ぎました。予言や予知といったものを、くつがえしたいという天邪鬼なところが幸いしたかもしれません。(笑い)
 母からは、「おまえは、すばらしい批判の精神を発達させている。たとえば、おまえがもし川に落ちて溺れたとしたら、おまえの死体を下流のほうじゃなくて、上流の方へ行って探す」と。(笑い)
 もちろん、これはまじめな話題ですが(笑い)。それ以来、私は、二つだけ、健康のために心がけていることがあります。
 池田 読者のためにも、ぜひお聞きしたいと思います。
 ブルジョ その一つは、問題を積極的に解決していくということ。たとえば、一つの問題を乗り越えていくというか、要するに、一つの問題を仮にベストではないにしても、ともかく解決していこうとする。そして、自分が解決した後は悩まない、忘れる。過去にとらわれない。
 池田 仏典(「ダンマパダ」)で、釈尊は、善悪の判断について説いています。
 「もしも或る行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。
 もしも或る行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善い」(『ブッダの真理のことば感興のことば』中村元訳、岩波文庫)ことである。
 仏法は、主体的、精神的に生きることを重視します。良い行為をすれば、必ず良い報いがある――それが仏法の“因果律”です。
 それを信じて、過去にとらわれず、良い行為を決然として実行する。博士の生き方は、仏法者の行為と軌を一にするようです。みごとな“心の健康法”です。
 ブルジョ 第二は、よく散歩します。一日に、少なくとも三十分は散歩しています。エレベーターがあっても、階段は歩いて上ります。本当に単純なことだと思いますが。それと、バランスのある栄養をとるように心がけています。
 しかし、基本的には遺伝的なものがあるのではないでしょうか。それぞれの人間の生き方や人生観までが遺伝子に支配されているわけではありませんが、健康であるということは、多分に遺伝的なものによると思います。

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