Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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農漁村の春の喜び 人も自然も輝け! 立正安国の大地

2009.3.1 随筆 人間世紀の光5(池田大作全集第139巻)

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1   冬去りて
    春は来たれり
      晴れ晴れと
    必ず芽を吹く
      私も あなたも
 「農業ほど王者に相応しいことはない」(『老年の豊かさについて』八木誠一・八木綾子訳、法蔵館)
 これは、古代ローマの哲学者キケロが先人から学んだ確信である。
 彼は、農業こそ「全人類の健康に資するという意義ある務めを果たしている」(『大力トー・老年について』中務哲郎訳、『キケロ一遇集』9所収、岩波書店)とも洞察していた。
 我ら人類の健康と命を支える食も、未来を開く活力も、農漁村から生まれる。
 まさしく、わが農村部、また、わが漁村部の"宝の同志"こそ、人間の王者であり、生命尊厳の「誉れの英雄」なのである。
 日本列島に春を告げゆく陽光のように、「農漁村ルネサンス体験主張大会」が、全国で明るく行われた。集い来る"農漁村部"の友の笑顔は、なんと神々しく、なんと晴れがま心い輝きを放っておられることか。
 私も、今回、発表された、埼玉県、北海道、広島県のご家族の素晴らしい体験を、涙する思いで伺った。
 出席くださった各地の名士の方々からも、感銘と賞讃の声が寄せられている。
 福島県の大玉村を牽引されるご来賓も、慈父の如く語ってくださった。
 「体験を語る青年の手は、節くれ立った『働く人の手』でした。ご夫妻で、どれほど苦労し、働いてきたことか。『信は力なり。巌も貫き通す』と感動しております」
 特に東北では、十の会館で、主張大会とともに、「農村女性フォーラム」が晴れやかに開催された。
 多くの女性リーダーの方々も来館され、一足早い「ひな祭り」の如く、楽しく賑やかに、希望の対話の花が咲き広がったようだ。
 農漁村部の友は、わが村、わが地域の一年の豊作また大漁、そして繁栄を真剣に祈り、「青年・勝利の年」の先頭を前進されている。
2  人間の運命を「冬の果樹」に譬えたのは、ドイツの大文豪ゲーテである。
 「そのこわばった大枝や、そのぎざぎざした小枝が、次の春にはふたたび緑に萌え、花をひらき、それから実をつけることができようなどと、だれが考えることができましょう。しかし、われわれはそれを期待します、われわれはそれを知っているのです」(『ウィルヘルム・マイステルの遍歴時代』上、関泰祐訳、岩波書店)
 味わい深い言葉である。
 かつて農漁村部の友から聞いた一言が、今もって、私の胸から離れない。
 「農作物は、収穫が終わるとすぐ、次の年の準備をします。作付け前に施す元肥や、芽吹く前の剪定は、春になってから行っては、もう遅いからです」
 漁業でも、冬の間に漁網や船の修理を行い、万全の態勢で春を迎えるという。さらに、冬こそが最盛期の漁も少なくない。
 一歩先んじて、準備を怠らない。日々、倦まず弛まず努力する──万事、勝敗を決するのは、この人事を尽くす道理にある。
 限りない恵みをもたらす一方、時に峻烈を極める大自然だ。
 なればこそ、謙虚に、大地と語り合い、大海と向き合わねばならない。
 大宇宙と最も誠実に「生命の対話」を重ねながら、最も勇敢に、最も聡明に、最も忍耐強く、「冬は必ず育となる」との法則を証明してこられたのが、農漁村部の盟友である。
3   ♪春を信じて 厳冬の
  原野に 海に 毅然と挑む(作詞・農漁村部有志)
 私も大好きな、農漁村部歌「誉れの英雄」の一節だ。
 以前、私は、豊かな農漁村を擁する三重県の同志に、こう書き綴らせていただいた。
  「辛くとも
   その辛さの分だけ
   幸と福の糧となるを
   信じて」
 残念ながら、現実の農業者、漁業者の皆様の尊き労苦は、決して十分に報われているとはいえない。
 農漁業をめぐる国際化、食習慣や嗜好の変化なども、大きく影響している。
 ことに、昨年は、燃料の高騰などで、一斉休漁を余儀なくされるなど、困難を極めた漁業関係者も多くおられた。現在の世界的な大不況も、農漁業の厳しさを倍加させている。
4  農産物は、「食」として人びとの「命を継ぐ」ものである一方、工業製品とは異なり、不安定な天候等に翻弄され、懸命に重ねた努力の結実を、一夜にして奪われてしまうこともある。どんなに悔しいことか。
 今日、農産物は時に投機の対象にもなり、「マネーゲーム」によって、市場価格は乱高下を繰り返す。
 それによって左右され、苦しめられるのは、いつも庶民であり、真面目に生きている生産者だ。
 「価格ではありません。自分に納得のいく品質のものを供給したいのです」
 「『おいしかった!』の一言で、それまでの苦労も吹き飛びます」
 日焼けした笑顔で語る、誠実な"農の心"の前には、狡猾なマネーゲームなど、あまりにも浅はかに映る。
 米国の女性作家パール・バックは、名作『大地』に書いている。
 「銀貨は、土から生まれたのだ。彼が耕し、掘りかえし、彼自身の労苦を注ぎこんだ彼の土から。彼はこの土から生を得たのだ。一粒、一粒と汗をしたたらせて土から実りをもぎとり、その実りから、こんどは銀貨をもぎとったのだ」(『大地』1、小野寺健訳、岩波書店)
 農畜産物も、水産物も、それが人びとの□に入るまでには、生産者のどれはどのご苦労があり、どれほどの真心が込められているか、計り知れない。
 そこには、単なる「お金」には換えられない、気高き汗が光り、渾身の生命の貢献が輝いている。
 その苦労を感じられなくなった時、人間は傲慢になる。その真心を忘れ去った時、人生は堕落する。
 「いただきます」──その一言を、生産者の方々へ感謝合掌の心で発していくことが、大切な「食育」の出発点ではないだろうか。
5  日蓮大聖人は、御供養の品々について、農水産物だけでも、数十種もの名前を丁寧に記し残されている。
 しかも、例えば「米」を見ると、米・八木こめ・白米・能米・乃米・生米・麞牙しらよね(しょうげ)などと、表記もまことに多彩である。
 このうち、白米・麞牙は精白米を、能米・乃米・生米は精白していない玄米を言った。
 また、「八木」は米の字を分解したもの、「麞牙」は中国由来の言葉で、キバノロという鹿の牙が細くて白いことから、上等の白米の別称とされたのである。
 このほか御書には、保存食の「千飯」「焼米」、また「餅」「ちまき」などもある。
 一つ一つ、どれはど大事に記された言葉であろう。
 大聖人にとって、門下がお届けした米は、単なるモノではなかった。
 粒々辛苦の結晶を、「民のほねをくだける白米」、「白米は白米にはあらず・すなはち命なり」とまで言われた。
 まさに、お届けした弟子の尊極の生命そのものとして受け取っておられる。
 この御本仏の御心に照らしても、供養を貪る"食法餓鬼""拝金宗"と化した日顕一派が、いかに師敵対の邪宗門か、あまりにも明白である。
6   すばらしき
    緑と緑の
      この楽土
    われらの誇りと
      友の笑顔は
 わが農漁村部の皆様方は、春夏秋冬、あの地、この地で、地道に朗らかに、郷土に貢献し、自らが地域社会を照らす「太陽」となって歩んでこられた。
 都会を離れ、東北の農村に移った婦人の話である。
 ──稲作と畜産の農家に嫁いだ彼女は、生活時間帯も、日常の言葉も、何もかもが一変した。
 物思えば、以前の生活が懐かしかった。悶々と唱題していた時に、"現実から逃げて幸福はない、今いる場所で勝て"との学会指導を学んだのである。
 「そうだ。"この地"で生き抜こう!」
 彼女は顔を上げた。前を見つめて、地域の人びとの中へ飛び込んだ。
 水田に入った。泥まみれになって、土と格闘した。不作の年は近隣の方々と共に涙を流し、翌年の勝利を誓い合った。
 いつしか覚えた地元訛りも、土地に根付いた誇りと感じた。
 彼女が心から郷士を大好きになった時、彼女の笑顔も郷土に欠かせない太陽となっていたのだ。
7  「御義口伝」には仰せである。
 「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなりここを去つてかしこに行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野せんごくこうや皆寂光土みなじゃっこうどなり此れを道場と云うなり
 「今いる場所」──ここが、わが使命の本舞台となり、常寂光土となる。
 戸田先生は言われた。
 「負けるものかと、デンと肚をすえて頑張るのです」
 「絶対に人生の苦難に屈してはならない。必ずや、後になれば、あの時、頑張り抜いて本当に良かったと、爽やかに思い返せるものだ」
 この日蓮仏法の真髄を、わが東北の同志は、粘り強く実践し抜いて、「勝利の人材城」を築き上げてこられた。東北の友を、こよなく愛しておられた戸田先生も、いかばかり喜んでくださることであろうか。
8   荒波に
    打たれ鍛えよ
      民衆の
    英雄なりせば
      忍辱王者と
 漁村部の友も、懸命に奮闘されている。
 ある四国のメンバーは、真摯に悩んでいた。高齢化が進む漁村に活気を取り戻すには、どうすればいいか。必死だった。祈っては考え、考えては祈った。
 そうだ! 「海」に触れる機会の少ない都会の子どもたちを漁村に招いて、体験学習を行ってはどうか。
 だが、ただでさえ忙しい漁業者の毎日である。それに加えて体験学習となれば、皆の負担も大きい。しかし、彼は熱く訴えていった。"多忙な時間を、街の活性化のために割き、子どもの情操を養うために使ってもらいたい!"──その意気に感じて、漁師仲間が結束した。
 「みんな、子どもたちのために、一肌脱ごうじゃないか!」と。
 そして、迎えた初の体験学習の日──。
 海の男たちは、やって来た子どもを船に乗せ、懸命に漁業の説明を行った。
 「海はいいなー」
 子どもたちの目が輝き、歓声が波間に響くと、潮風を受けた漁師たちの顔には会心の笑みが浮かんだ。
 この試みは、漁村に大きな活力を送った。
 「海には壮大なる風景ありて精神を養に足と同時に酸素充々て人の健康を養に足る」(「海の楽」、『国木田獨歩全集』1所収、学習研究社)とは、私が青春時代に愛読した国木田独歩の一節である。
 ともあれ、わが同志が一人立てば、新たな波が起きる。勇気の一人がいれば、変化の風が起きるのだ。
9  「挑戦の心と広布後継の誓いを込めて、私が育てた桃です!」
 中国地方の農村青年が、ある時、それはそれは美事な白桃を送ってくれた。
 聞けば、大学を出て会社勤めをしていたが、就農への思いを断ち切れなかったという。そんな彼の一途な真剣さに、義祖父が農地の伝手を探してくれたのだ。
 ほのかに赤みを差した大きな光り輝く白桃は、彼の熱き挑戦の心の勝利を讃えているかのようだった。
 私は早速、御宝前にお供えさせていただいた。そして「天下一」と感謝を歌に託した。
 「仏法は勝負」である。
 フランスの文豪ビクトル・ユゴーは叫んだ。
 「俺は正義の種を播く」(「剣」川路柳虹訳、『ユーゴー全集』8所収、ユーゴー全集刊行会)
 青年ならば恐れなく信念の"種"を蒔くことだ。そして粘り強く勝利の"果実"を育てていくことだ。
 今、農業も漁業も、都会をはるかに上回る高齢化に直面している。深刻な後継者不足で、耕作されなくなった水田や畑も多い。しかし、負けるわけにはいかない。新たな前途を開く、創意と工夫の知恵が、いよいよ求められる。そのなかで、わが創価の農村青年の姿が、どんなに生き生きと新生の光を送っていることか。
 一、君よ、「生命の世紀」の先頭を走れ!
 一、君よ、農漁村ルネサンスの旗を振れ!
 一、君よ、師弟の「光の道」を勝ち進め!
 今回、決定した農村青年委員会のモットーである。
10  釈尊は、世界一のヒマラヤを仰ぐネパールの大地に誕生された。
 日蓮大聖人は、世界一の太平洋に開かれた房総の天地に聖誕なされた。そして「海人が子なり」と、誇り高く御出自を宣言しておられる。
 御聖訓には、幼き日、故郷の磯のほとりで御覧になった海苔を思い起こされる一節も記されている。
 二十二年前、千葉の船橋文化会館を訪問した折、同志が前庭に、海苔干し場を再現してくれていた。
 私も、大田区の海苔屋の息子である。懐かしさのあまり、しばし足を止めた。
 先師・牧口先生は、新潟「荒浜」の寒村の出身を、生涯の原点とされた。恩師・戸田先生の誇りも、石川の漁村に生まれ、北海道では「荒海」という意義をもっ「厚田」に育った庶民であることであった。
 創価の三代も、皆、農漁村部であるといってよい。
 大聖人は「立正安国」が実現した社会を、「羲農ぎのうの世」と示されている。
 人心が安らかで、自然環憩も穏やかな社会−その模範の姿を、中国古代の伝説上の帝王「伏羲ふっき」と「神農」の時代、すなわち「羲農の世」に求められたのである。
 伏羲は、網を作って民衆に漁猟を教えたとされる。一方、神農は、その名の通り、農耕を人びとに授けた。一国を安定させ、豊かにしゆくために、農漁業がいかに重要か──。
 大聖人が、創価の農漁村部のメンバーヘ、直々に、誇り高き使命の偉大さを教えてくださっているように、私には拝されてならないのである。
11  インド近代農業の父スワミナサン博士は、私との対談で力説しておられた。
 「人間と食物の関係は単に生命を維持するだけのものではなく、文化を支え、自然への畏敬の念を支えるものなのです。食物は、人間を謙虚にします。
 私たちは、この『自然』と『農業』と『文化』の三者の関係を、さらに強化しなければならないと、強く信じています」(『「緑の革命」と「心の革命」』。本全集第140巻収録)
 農漁村を使命の舞台として活躍する皆様方こそ、最先端の「生命共生の哲人」「文化創造の旗手」なのだ。
 なかんずく、スワミナサン博士が、人類の栄光と勝利の象徴とされていたのは、農漁村に生きゆく女性たちの笑顔である。
 愛する地域の方々と共に、皆様が最高の充実と幸福を満喫できる地域社会を創りゆくことこそ、調和と共生の新たな地球文明の夜明けとなる。
 ゆえに、何があっても負けない黄金の実りの開拓者たれ! 大漁の旗高く功徳薫れる人生たれ!
 私は、妻と共に、皆様とご家族のもとへ届けと、強盛に祈り続けている。
  美しき
    心の君に
      いやまして
    金波浴びたる
      幸の日々たれ
  
  わが大地
    希望の胸を
      燃やしつつ
    生きなむ 進まむ
      常楽我浄と

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