Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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永遠なれ栄光の五月三日(上) わが「創価の出発」の記念日

2007.5.3 随筆 人間世紀の光4(池田大作全集第138巻)

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7  戸田先生は、私たちが結婚早々の時代、住んでいた大田区の大森山王の「秀山荘」という小さなアパートにも、お一人で来てくださった。
 一九五三年(昭和二十八年)六月十二日お認めの常住御本尊の入仏式の導師をしてくださったのである。
 四畳半の仏間で、勤行が終わってから、私たち夫婦に、深く未来の学会への指導をしてくださった。
 妻の膝の上には、生まれて四カ月の長男・博正がいた。
 博正と命名してくださったのも、先生である。
 先生は、赤子の生命に刻みつけておくように真剣に語りかけておられた。私たち夫婦は、その姿を見つめながら、深く感動した。
8  私が共に対談集を発刊した"アメリカの良心"ノーマン・カズンズ博士は論じられた。──活力に満ちた人びとが、少人数であっても、社会を動かし、歴史を変える実証を示せば、現代の無力感を打破できる(『ある編集者のオデッセイ サタデー・レビューとわたし』松田銑訳、早川書房)、と。
 戸田先生の会長就任前の昭和二十六年三月、一カ月の折伏は、全国で九十五世帯であった。
 先生は、「このままでは、広宣流布は一万年かかる」と嘆かれた。いな、側近の弟子たちを叱った。
 彼らは、師匠である戸田先生の心を知らなすぎる──。
 私の心は怒りに変わった。
 私は立ち上がった。一人が壁を破り、一カ所が突破口を開けば、全軍が希望と確信に燃えて続くからだ。

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