Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

学会は言論の王者  

2005.6.6 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

前後
4  アメリカのヘレン・ケラーは訴えた。
 「知識――博く深い知識――をもつことは、誤った目的と正しい目的とを弁別し、低級なものと高貴なものとを見分けることができることを意味する」(『わたしの生涯』岩橋武夫訳、角川文庫)
 正義と邪悪、真実と嘘、一流と二流を見抜く力こそ、まことの賢者の証である。
 私は今、戸田先生の残された指導をまとめ直している。仏敵と戦う鋼の精神。裏切り者を許さない正義の魂。悪侶への戒め――。永遠の遺言ともいうべき精神を、絶対に絶やしてはならないからだ。大聖人の御手紙を「御書」という尊称で呼び、結集されたのは日興上人であった。師の正義の思想を、永遠に宣揚してこそ弟子である。しかも、言葉や文字という、後世に明らかな形で残すことである。
 釈尊、イエス・キリスト、孔子、ソクラテス。こうした偉人も、おのれの思想を自分で書き記した著作は何一つ残っていない。すべて弟子たちによって、その教えは人類の記憶に刻まれていった。
 人類の教師と仰がれる聖賢も、生前は迫害の連続であった。釈尊には「九横の大難」があった。イエス・キリストは、磔の刑に処せられた。孔子は諸国を流浪し続け、ソクラテスは毒杯を仰いだ。不遇と言えば、これほど不遇な生涯もない。
 もし弟子が惰弱で、沈黙していたなら、師の功績は、歴史の片隅にひっそりと刻まれただけで終わっていたかもしれない。しかし、弟子が猛然と師の正義を宣揚したからこそ、師も勝ったのである。すべては、弟子で決まる。正義の闘争心が、弟子にあるかどうかである。
 フランスの作家ジッドは、青年に叫んだ。
 「どんな人間にも驚くべき可能性があるものだ。君の力と君の若さを確信したまえ。『なるもならぬも僕次第だ』と絶えず言い続けることを忘れてはならない」(「新しい糧」島利雄訳、『世界人生論全集』11所収、筑摩書房)
 若き弟子たちよ、勝て! 正義の心で勝て! 言論の力で勝て!
 創価は、永遠に言論闘争に勝ち抜いていくのだ!

1
4