Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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学会は言論の王者  

2005.6.6 随筆 人間世紀の光2(池田大作全集第136巻)

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3  人を踏みにじる言論など、「言論の自由」を標榜できる立場にはない。書いた内容に伴う責任を果たしてこそ、言論は「自由」の名を冠する資格がある。そもそも、嘘でごまかそうとする心根は、その人間を腐らせてしまうものだ。また、文章で嘘を一言でも書くなら、生活と人生にも嘘をつくようになる。身近な人間をも嘘でごまかし、最後は自分にも嘘をつく。実に哀れな末路である。
 世界の正視眼は、一部の俗悪週刊誌の本質を見抜いている。モスクワ大学助教授のストリジャック先生は、一九九〇年七月に行われた、私とゴルバチョフ元ソ連大統領との会談について、一部週刊誌の記事に激怒しておられた。すなわち、大金を投じて会見を実現したなどとの記事は、「会談に関わった者への冒涜」だと言われるのである。
 氏は具体的に、この会談に尽力してくださった知日家の名前を、一人ひとり、あげられている(肩書は当時)。国民教育国家委員会のヤゴジン議長(ソ連高等中等専門教育大臣)。モスクワ大学のログノフ総長、トローピン副総長。ノーボスチ通信社のドナエフ論説委員。大統領会議メンバーで作家のアイトマートフ氏。ファーリン党国際部長……。
 この方たちには、両国の友好のため、元大統領と私が会わねばならないという共通の信念があった。そこに金銭などが介入する余地は、全くなかった――ストリジャック先生は、こう断言されているのである。私にとって、どなたも懐かしいロシアの古い友人である。このほかにも、無数の日ロ友好を願う方々に支えられて、会談は実を結んだのだ。
 もとより、私一人への誹謗など、歯牙にもかけていない。しかし、ことは、ロシアの友人たちの名誉に関わる問題である。友情のため、信義のため、後世のため、黙っているわけにはいかない。歴史に、真実を刻み留める責務があるからだ。
 また、当のゴルバチョフ元大統領ご本人も、フランスのメディアの取材を受けた際、私と学会への中傷について、「全く根も葉もないこと」と、痛烈に批判されていた。
 ともあれ、「悪口罵詈」(法華経四一八ページ)「猶多怨嫉」(法華経三六三ページ)等の経文の通り、学会ほど、偏見と悪意に満ちた中傷記事を書かれてきた団体もない。選挙がらみの荒唐無稽な記事。ありもしないスキャンダルの捏造。悪いイメージを刷り込むための虚偽の見出し。
 モンテーニュは『随想録』で述べている。
 「偉大で崇高なものを判断するには、それと同じ心が要る。そうでないとわれわれ自身の中にある欠陥をそれに付与してしまう」(『エセー』1、原二郎訳、岩波文庫)
 船の櫂が水の中で曲がって見えると彼がいうように、心の卑しい人間の目には、まっすぐな物も歪んで映る。金銭欲や名誉欲に目がくらんだ人間には、清浄な学会までも欲望にまみれて見えるのだ。学会への低俗な記事は、書く側の内面の卑しさの表れにすぎない。
 御聖訓にも、「自らの誤りを顧みずに、偉大な正義の存在を嫉妬する人間は、自分が目眩をしているにもかかわらず、大山が回っていると思うようなものである」(御書一四五三ページ、趣意)と仰せである。
4  アメリカのヘレン・ケラーは訴えた。
 「知識――博く深い知識――をもつことは、誤った目的と正しい目的とを弁別し、低級なものと高貴なものとを見分けることができることを意味する」(『わたしの生涯』岩橋武夫訳、角川文庫)
 正義と邪悪、真実と嘘、一流と二流を見抜く力こそ、まことの賢者の証である。
 私は今、戸田先生の残された指導をまとめ直している。仏敵と戦う鋼の精神。裏切り者を許さない正義の魂。悪侶への戒め――。永遠の遺言ともいうべき精神を、絶対に絶やしてはならないからだ。大聖人の御手紙を「御書」という尊称で呼び、結集されたのは日興上人であった。師の正義の思想を、永遠に宣揚してこそ弟子である。しかも、言葉や文字という、後世に明らかな形で残すことである。
 釈尊、イエス・キリスト、孔子、ソクラテス。こうした偉人も、おのれの思想を自分で書き記した著作は何一つ残っていない。すべて弟子たちによって、その教えは人類の記憶に刻まれていった。
 人類の教師と仰がれる聖賢も、生前は迫害の連続であった。釈尊には「九横の大難」があった。イエス・キリストは、磔の刑に処せられた。孔子は諸国を流浪し続け、ソクラテスは毒杯を仰いだ。不遇と言えば、これほど不遇な生涯もない。
 もし弟子が惰弱で、沈黙していたなら、師の功績は、歴史の片隅にひっそりと刻まれただけで終わっていたかもしれない。しかし、弟子が猛然と師の正義を宣揚したからこそ、師も勝ったのである。すべては、弟子で決まる。正義の闘争心が、弟子にあるかどうかである。
 フランスの作家ジッドは、青年に叫んだ。
 「どんな人間にも驚くべき可能性があるものだ。君の力と君の若さを確信したまえ。『なるもならぬも僕次第だ』と絶えず言い続けることを忘れてはならない」(「新しい糧」島利雄訳、『世界人生論全集』11所収、筑摩書房)
 若き弟子たちよ、勝て! 正義の心で勝て! 言論の力で勝て!
 創価は、永遠に言論闘争に勝ち抜いていくのだ!

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