Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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孫の世代のために駆ける チャールズ英国皇太子

随筆 世界交友録Ⅰ Ⅱ(前半)(池田大作全集第122巻)

前後
4  ″百聞は一見にしかず″運動
 皇太子のモットーは「百聞は一見にしかず」。
 企業家や政治家を″スラム街″にみずから連れて行って、「追いつめられた若い人たちに希望をあたえてほしい」と頼んだのである。
 事実ほど強いものはない。
 この″百聞は一見にしかず″運動は、実を結んでいった。
 しかし、それとは対照的に、大衆紙で流される皇太子の情報は、自分たちが勝手につくり上げた悪意のイメージに沿ったものであり、「事実の追求」とは無縁であった。
 ある記者が告白したそうである。「王室という文字が(中略)一面に出ただけで売上げが五万部は違う。ちょっと面白そうな見出しなら一〇万、二〇万と増えて行く。スキャンダルなら何十万部の増加だ」(黒岩徹『物語英国の王室』中公新書)
 卑しい意図から洪水のように流される「虚像」。虚像とはいえ、ひとり歩きするうちに、人々の意見に影響をあたえ、現実にも、はね返ってくる。
 まともな議論のできる土台そのものがなくなっていった。
 こういう理不尽のなかで、チャールズ皇太子は言いわけもせず、ひるみもせず、「自分の責任を果たす」日々を貫いてこられた。
 「イギリスの宝」であるシェークスピアを学ばない若者が多いことを憂えた皇太子のスピーチは、反響が大きかった。
 多くの学校でカリキュラムが変わったという。
 そのシェークスピアは言っている。
  おお、位高く、権力のある者よ! 幾百万もの猜疑の眼がお前を見つめているのだ。
 おびただしい流言蜚語が、偽りだらけの矛盾しあうあら捜しにもとづいて、お前のすることなすことについて言いふらされるのだ。軽薄な才子のやゆがお前を、そのくだらぬ空想の種にして、でたらめ放題の言いぐさでお前の姿をゆがめてゆく。
 (『尺には尺を』、小津次郎・関本まや子訳編『シェイクスピアの言葉』所収、彌生書房)
 私は、申し上げた。
 「要するに嫉妬です。何があろうと、見おろして、毅然と前へ進むべきです。リーダーが毅然として前進しなければ、民衆は不幸です。
 東洋には『聖人や賢人は、ののしられ、非難される。そのことによって、本物かどうか、ためされるのだ』という言葉があります。永遠性の仕事は、同時代には迫害されるものです。しかし、嵐に向かい、嵐を超えてこそ、不朽の事業は、でき上がると信じます」
 僭越であったかもしれない。また皇太子ご自身、かねてから覚悟しておられた嵐であろう。ただ私は、世界市民の一人として、「心ある民衆は強力に支持しています」と伝えたかった。
 率直な私の言葉を快く受けとめてくださり、皇太子は言われた。
 「うれしいお言葉です。
 未来をどうするか。やはり社会の将来を決定づけるのは教育の力が大きい。そして教育で私が大切だと思うのは、変わらない『人間としての道』です。これは数世紀にもわたって、つちかわれてきた基本的な原則なのですから」
 皇太子は、ここでも「時を超えて変わらない価値」を追求しておられた。強い方である。
 ある著作の最後に、皇太子は書いておられる。
 「あらゆるものが、われわれの価値と態度を再検討するように求めている。こうした見方をあざ笑う者の脅しに屈してはならない。彼らの時代は終わったのだ。彼らがわれわれに遺した魂なき混乱を見るがよい」(『英国の未来像 建築に関する考察』出口保夫訳、東京書籍)
 何と力強い宣言だろうか。私は最後に重ねて申し上げた
 「わが道を、『王者の道』を堂々と歩んでください。国民のため、世界のため、伝統の王室のために!」
 皇太子は、私の目を、まっすぐに見つめ、強く強く、手を握りしめてくださった。
 その厳粛なる一瞬の光景は、永遠に私の胸に刻まれている。
 いとまを告げる私を、玄関まで丁重に見送ってくださった。
 私が近くの街テットペリーまで戻ると、光の大空に、赤いヘリコプターが舞っていた
 皇太子が、さっそく次の訪問地オックスフォードに向かっておられたのである。
 偉大なる「戦うプリンス」。その前途が、この空のごとく輝きわたることを願いながら、私は、雲一つないイングランドの青空を見つめていた。
 (一九九七年六月二十九日 「聖教新聞」掲載)

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